本に教わる。高倉健の辞世
<寸感> 本に教わる。高倉健の辞世
ローマ帝国衰亡史〈1〉五賢帝時代とローマ帝国衰亡の兆し (ちくま学芸文庫)
- 作者: エドワードギボン,Edward Gibbon,中野好夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1995/12/01
- メディア: 文庫
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いま一番頼りにしている文章指南書は「編集手帳の文章術」(竹内政明)である。
読売新聞の名物コラム「編集手帳」の著者の本で、名文作成の手の内を明かしてくれている。
「編集手帳」は僅か460字で、「産経抄」の690字に比べると、明らかに苦戦しているが、内容の重さに甲乙がないのは流石である。この「流石」のなかに名文作成の秘訣秘伝があるわけだが、おいそれと真似出来るものではない。
ただ、どの名文も小さい材料を組み合せ昇華させて一流の文章に仕立てる手際は同じらしく、ここらが検討のポイントとなる。
かってベストセラーとなった「知的生産の技術」(梅棹忠夫)には「こざね法」という作文の手法説明があって、これは有難く借用させて貰っている。これも小さい材料の積み重ねの手法である。
「知的生産の技術」時代にはワープロという利器はなく、梅棹氏は苦労されたようだ。とりわけ文章術で苦労させられるのは「検索」で、いまのパソコンなら、数語を入力するだけで魔法のランプのように何でも取り出せるようになった。つまり、材料を活かす頭の働きがより重要になったということである。
頭の働きは文体に現れる。文章の材料をゴテゴテと並べただけでは底が浅いと見られる----- ので素人には辛い。
ある書評で画家/野見山暁児の文章が凄い、とあったので早速「四百字のデッサン」を求めてみたが、確かに人間観察に優れていてエッセイ賞を受けている。材料だけでは賞は取れないことが分った。
話は繋がって、次ぎに須賀敦子のエッセイを求めてみたところである。
この正月休み、自分へのささやかなお年玉として新書版の赤いブックカバー(一応 革装仕立て)を求めてみた。いままでは「編集手帳の文章術」が入っていたが、いまは「国家の盛衰」(渡辺昇一、木村凌一)。なにしろ小学校以来マトモに歴史教育を受けたことがなく、日本の中世期は専ら司馬遼太郎の小説から学んだというお粗末さである。
この本からはいろいろと教わった。
◇ カルタゴとオランダの類似点。
◇ ローマ、アメリカは建国に際し、アテネに学んだ。
◇ 海戦に破れた国は発展しない。
◇ 国を支えるのは経済力と軍事力である。
◇ アメリカには中世がない。
◇ ローマの興亡史のなかに、学ぶべきすべてがある。
思い出すのは、かっての大平総理のこと。
氏が外相だった頃、難しい中国との外交交渉を終えて帰国の機中でのことである。お疲れだろう、と随行員が座席を覗くと、大平外相は寝ているどころか、何やら難しそうな本を読んでいる。
それはローマ帝国興亡の歴史書であった、というのである。
● 高倉健の辞世の句
高倉健が残した辞世の句として知られるようになったのは、高倉が私淑したとされる酒井師から贈られたという、
往く道は精進にして、忍びて終り、悔いなし
最初、これは、
忍びて、終り悔いなし
-------- か、と思っていた。いろいろと忍ぶものはあっても、最終的には悔いのない生涯に恵まれる〜
しかし「忍びて終り」が正しいようだ。句読点の違いはあっても、両者は同じようにも思えるが、そこは素人の思案を越えたものがあるようだ。(了)。