寸感/自己啓発、本屋大賞
● 自己啓発の功罪
ネットで見かけた辛口コメント。
------ 書店で良く見られる 自己啓発書の特徴は、人文書や文芸書に比べてデザイン的にあり得ないレベルで、品がない、と、とある。
私も在職中は人並み?によくお世話になったものだ。ドラッカー、ワープロ/パソコン入門、サラリーマン必読書一覧、40からの健康法、英語必勝法 などなど。懐かしいが、中身は遠く記憶の圏外に。生活のアクセサリーみたいにして、身を入れて読んでいないのだから「忘れた」と言うのも恥ずかしいくらいだ。
上記の辛口コメントは、更にこうだ。
強く打ち出される「絶対」「人生」「成功」「勝者」「金持ち」などの言葉は「シラフだったら絶対に口に出せないような 赤面系キーワード」とツッコみ、字が大きいこと、文字の量が少ないことなどとも。
そう言われればそうかな、ちっとも気がつかなかったけどね。
辛口氏が問いかけるのは、そもそも自己啓発書がこんなに売れるほど“意識の高いビジネスマン”が数多くいるのに、 日本が不景気なままなのは何故なのか、という点。その理由のひとつとして、本書では自己啓発書をありがたがる人たちが、
成功者たちの「目には見えない部分での努力や行動、勉強をすっ飛ばして」いることを挙げる。
そう言われればそうかな、ちっとも気がつかなかったけどね。
ここまで言われると流石に少しは分りますね。定年になっていて本当に良かった、とつくずく思う。
● 本屋大賞
- 作者: 三浦しをん
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2011/09/17
- メディア: 単行本
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私は芥川賞ものは避けて直木賞ものなら読む。庶民に近いように感じられるからだ。そして本屋大賞本は庶民の書棚にこそ直行しておかしくない雰囲気を持っているように思える。
それというのも、額に汗して働く書店員さん自身が自分なりの視覚、触覚で選び、権威の頼らず自分自身で読んで「面白かった」「お客様にも薦めたい」と思った本を投票するからなのだろう、と思う。世間の文学賞観に一石を投ずる事象ではないだろうか。
クラシック音楽の作曲コンクールの分野では、現代音楽の時流に乗って、これまでのべ–トーヴェンやドヴォルザークのような伝統的な作曲技法に基ずき、しかも人の心を揺すぶる音楽には敢えて目を瞑るという世界から抜け出せない----- どころか、それがどういうことなのかを顧みる余裕もなさそうなことに悲しみさえ覚える。
文学賞で思い出すのは、以前ベストセラーとなった「大いなる助走」(筒井康隆)。私の愛読書。内容は、地方の文学青年が文芸大賞(芥川賞?)を目指し、選考委員に金銭を贈ったりして頑張るが、最終選考で落選。この時の印象的な場面は、落選の報を聞いた同人誌仲間たちが万歳を叫ぶところ。それから、冴えない同人誌の連中が「俺たちは一体何をやってんだろう」と嘆くところ。しかし、ノーベル賞受賞の科学者でも1500回も実験に失敗したというから、嘆くのは早いのかも知れない。「何かを」やらなくては何も始まらないのは事実だからだ。
そして青年は選考委員たちを次々に殺害してまわる、という猟奇的?な結末。
映画にもなった。
面白いのは、この小説が、文学賞選考/授賞を取り仕切る出版社から世に出たことである。
話が脱線したが、これまでの入賞作品の例を挙げてみると、
『村上海賊の娘』和田竜
『海賊とよばれた男』百田尚樹
『舟を編む』三浦しをん
『天地明察』冲方丁 (了)