<寸感>音楽の話題----- 音大、運弓(1)、運弓(2)、運弓(3)

音楽大学
 イギリスで音楽を学んだ若者たちが結成した弦楽四重奏団がある----- グリラー弦楽四重奏団。確かな技巧で、かつ爽やかな名演を聞かせる。

チェリストの物語

チェリストの物語

 ここのチェリストのハンプトンは、欧州や米国の音楽界の因習に捉われない音楽に関する名著(「チェリストの物語」)を残した。
 かなり辛辣な言葉がある。
◇ 私が音楽大学で学べなかった唯一のものは「音楽」である。
◇ 音楽教師は、早く技術のことは忘れて、音楽の教育に専念すべきである
◇ 批評家は、大嫌い。


 ハンプトンの技巧は優れたものだが、とりわけ冒頭のコメントには驚かされる。音楽教育全般への批判である。音大はどうあるべきなのか。
 これに応えるのは容易ではなさそうだ。
 日本では、まだ芸大、桐朋大が制度的に力を発揮する以前に、父親だけの指導で、オイストラフハイフェッツを唸らせた天才少年/鈴木秀太郎が世に現れた(12歳前後)。その名演は3枚のCDに記録されてい。


● 運弓(1)
 私はヴァイオリンを自作し愛用している。自作する人は少なくないが、それを合奏の場にまで持ち込んで変な音をバラまく人はそう聞いたことがない。かなり厚かましいことではないだろうか。
 楽器制作は演奏のためにある。しかし、現実にはここいらが曖昧で、名器が投機の対象にされていることすらある。そのため名器が死蔵されたり、また不適当な扱いをされるようになるのは残念なことである。
 話はいろいろあるが、例えば、ヴァイオリンと弓捌き(運弓)については、次ぎのことが言えるだろう。


  Vn制作と運弓
◇ ヴァイオリンの表板(柔らかい松)は、2枚の板を貼り合わせてあるものがある。継ぎ目の厚さは僅か 4ミリ(周辺は3ミリ弱)。接着剤はニカワ。
 表板はこれで4弦のかなりの圧力に耐えているわけである。内部では、一本の細い丸木(魂柱)だけが、表板の圧力(音響)を支え、それを裏板に伝えている。かなり危ない話ではないか。
 ヴァイオリンは、ニスを塗られているが、それは表だけのことで、従って湿気、高温、ホコリ、害虫に弱い。暖房の部屋では要注意だが、それと共に、運弓での「フォルテ」にも注意が必要となる。
◇ しかし、弦を発音させるためには、初動の(垂直方向の)「フォルテ」は不可欠。但し、直ぐにその圧力を横に逃がし、その余力を弦の振動を綺麗に持続させる為に、弓を横に弾く必要がある。
 これが「運弓」の一つの意味である。ただ上下させるだけの運動は初心者レベルに留まる。
 テレビや映画で天才ヴァイオリニストを演ずる俳優さんたちの「動き」で、不自然さが隠しきれないのはこの点である。
◇ 上手な「運弓」とは。
 楽器を壊さない配慮を加えつつ、
 同時に、楽器から最善の美音を引き出すためのもの。
 更に、上級者は「ピアニッシモ」の運弓からでも美しい、充実した音を出すことが出来る。


● 運弓(2)
 ヴァイオリン演奏については、世間では閃くような左手指の動きだけに注目が集っているようだが、実際には右手の動きが死命を制する。その割合は7対3 ぐらいである。
 前述のように「ただ上下させるだけの運動」は名演に程遠い。


● 運弓(3)
 運弓は音程(左手指の運指)の正しさによって、その真価を発揮できる。
 運指の正確さは、正しい運弓から齎される豊かな音/和声のなかにあってこそ磨かれるものである。
 私は現在 新設のアマチュア オーケストラ=「ヒューマン ハーモニー オーケストラ」 のお手伝いをさせて頂いているが、ここは私の初めての経験として、練習開始前のウオーミングアップに、ゆっくりとした賛美歌風で和声の豊かな曲の練習を課している。
 素敵なことで、今後に期待すべきものがある。


● 運弓(4)
 アマチュアの世界には世に隠れた才人が少なくないと思われる。
 ヴァイオリニストの多くは、何でもないようにヴイオラを弾くが、これだって市井の人から見れば飛び抜けた才能のように思われることかもしれない。
 あるヴァイオリンの名手は文章道にも長けた文武両道の達人。音楽を超え政治、文化、社会等の各般に及ぶブログでの名筆は、かねてから愛読させて頂いてきたところである。
 その彼が残したブログでの名文のうち「ホラ スタッカートの弾き方」に関する論考は、永久保存に値する研究業績だと思われる。
 どこが凄いのかというと「ホラ スタッカート」の技法は、ハイフェッツのような天才でなければ不可能と言われてきたなかで、彼はアマチュアの身でありながら、鋭意この技法を研究し、遂には達成されたその研究成果をブログに纏められてたからである。
「ホラ スタッカート」という技法は、普通の上向き、あるいは下向きの「一弓」運弓の間に、数十個のスタッカート音(しかも、旋律となっている)を入れ込む手法で、まるで手品/魔法のように見える。
 ヴァイオリンのプロでさえ、これを制覇するのは難しいらしく、ある人は「時間をかけて、弾けるようになったからといっても、どうというものではない」「普通のスタッカート技法で充分対応出来る」と(口惜しそう?に)言っている。
 私は別に口惜しいと思うことはない。この技法を試みるだけでも無駄な抵抗だからだ。
 私の知人(Vn)もかねてからこの技法に興味をもち、その言う所によれば、
 ------ 例えば、普通のスタカートで、上下に細かく動く弓の、たとえば、上向きの動きだけを省略すれば、自然に下降ホラ スタッカートになる(筈である)、と言っている。


 そう、たしかに理屈はその通りなのだが、理想と現実が違うのは世の常。
 ハイフェッツの演奏を捉えた映像のなかに巧みに「ホラ スタッカート」を弾きこなす場面があり、それを驚嘆の目で見ている聴衆が興奮している場面がある。


 彼はプロでさえ辟易するこの難技巧を独力で研究し、論考では「弾けました」として「上向きスタッカート」「下向きスタッカート」に分けて、その技法を解明している。驚くべきことで、アマチュア音楽人の誇りでもある。
(了)。