甘辛談義 2題---- 音楽と食材。

ハイドン:弦楽四重奏曲第17番&第67番&76番&第77番

ハイドン:弦楽四重奏曲第17番&第67番&76番&第77番

● まず甘い/音楽のほうから。
 甘い音楽というものがあるのかどうか分りませんが、聞いていて春風のように快く、気持を和ませる音楽のことです。
 メンデルスゾーンの「歌の翼に」、滝廉太郎の「春」などがそうなのでしょう。
 同じ音楽でも、弦楽四重奏は特異な世界で、批評家が話題にするのは4人の奏者の技巧とか絡み合いのことが多いようですが、折角4人も居る奏者が作り出すハーモニーのことが、とかく忘れられがちのような気がいたします。
 カルテットで温かい和声、つまり春のような甘い響きを作り出すことが如何に難しいことか、を物語っているようです。


 ところが、最近求めたカルテットのCDで何十年ぶりかの感銘を受けました。----- 日本の若手の弦楽四重奏団 「カルテット エクセルシオ」(以下、エクセルシオ)が演奏する「ノクターン」(ボロデイン/弦楽四重奏曲 第2番)とドヴォルザークアメリカ」です。


 音楽仲間うちで何かと話題になるので、若者たちの才気走った演奏だろう、と、つい買ってみたのですが、驚きました。
 全員が桐朋出身で、結成後もう20年もの実績があるとのことですから、手慣れた演奏であるのは当然のこととして、まずそのテクニックが凄い上に、実によく歌う。上向フレーズで、最初デタッシェで始まり、緩急の呼吸よろしく次第にスタッカート気味に転じていくあたりの手際など、感じ入るばかりです。
 これまで聞き慣れていた筈の曲から全く新しい響きと歌い回しが披露され、およそ失敗や曖昧さからは最も縁の遠いファーストヴァイオリンの妙技には絶対の信頼がおけます。現在日本での最も優れた、世界水準を超えた存在か、と言ってよいかと思われました。先年、世界をリードした「東京カルテット」を上回る存在感です。欲を申せば、よく(完璧に)歌うファーストに比べ、ヴィオラ、チェロにもう少し歌が欲しいというところでしょうか。


 実は、数十年前から私の気に入りのカルテットがありました。「イタリア弦楽四重奏団」----- この団体には「黄金の響き」という異名があり、カルテットの本領である「旋律」「ハーモニー」の豊かさを合わせ持った恐らくは唯一の団体として私はかねてから私淑して参りました。------- 特にボロデイン/ノクターンアメリカの演奏において。
 そのハーモニーの豊さは、スメタナにもアルバンベルグにもウイーンコンツエルトハウスにもないものでした。このたびの「セクセルシオ」の演奏で、実に数十年ぶりに「黄金の響き」に再会出来たということになります。


 この団体はファーストの逝去に伴って解散しましたが、その名演を讃え、ファーストのポルテイアーニ氏の名を冠した国際弦楽四重奏コンクールがイタリアで開催されています。例にないことではないでしょうか。
  エクセルシオはいろいろなコンクールで一位入賞していますが、この難関「ポルテイアーニ」でも当然のように優勝しています。エクセルシオの演奏がどことなく「イタリア」のそれに似通った雰囲気を持っているのも故なしとしないでしょう。


 エクセルシオには更なる美点があります。上記の豊かな和声は、特にセカンドヴァイオリンの質の良さによって齎されていることです。例えば「アメリカ」第2楽章にはファースととセカンドのデユエットが多く聴かれますが、それらは何というか、美しい和声を超えた「甘い香り」のような雰囲気を持っています。このような経験は初めてのことでした。


● 次は音楽に関係のない食材の話題です。しかし、普段は眠ってばかりいる私の頭を一発、ドヤしてくれた出来事でした。
 まあ「頭の体操」ということでも、最近、自分の健康に関わることだけに、印象の深いものがあります。


 私は医師からカロリー制限を受けているため、ここ10年ばかりおよそ美食、グルメ、食べ歩きとかには縁のない生活です。友達付き合いも悪くなり、申訳ない次第です。


 私の日常は、すべて薄味でカロリーの少ない、つまり味のない「粗食」というもので、生活から食べる楽しみを除いたものが如何に貧相なものか、よくよく実感させられているのが実態で、それがもう10年も続いているのです。


 最近は考え方も変わり、食事は楽しむものというよりも生活に不可欠な活動の一部と心得て、浮いた時間を他に善用したい----- など一応は殊勝な考えてに落ち着いております。
 同類の健康障害では、食事制限は当然のこと、その直後には時間厳守での自己注射が欠かせない人も少なくありませんから、私などはまあ恵まれたほうでしょうか。
 定年後であることを幸いに、月に2回、かかりつけのクリニックに通うのが生活のパターンになっています。課題の一つに血糖値自己測定というのがあり、これを診察時に見て貰い、その数値がグラフになって、医師から叱られるというのもパターンの一つです。
 その医師から薦められたのが、クリニックに詰める管理栄養士さんからの指導。栄養士さんは医師と繋がったパソコンを見ながら、私に適した食事指導内容を考えて頂き、最近では直接に病院食のような健康食を拵えて、食事しながらの指導を受ける、という有難いサービスを受けております。
 前置きが長くなりましたが、最近頂いた健康食の際に「逆転の発想」とも言うべきものがありました。
 頂いた食事のレシピには食材や料理方法、カロリー、などが書かれてあります。
 そこに驚きの一行!
 味付けに用いた塩、砂糖等は、その後「洗い流す」とあります。
 驚きには2段階ありまして、最初は粗食(味がない)筈の食事に適度の味付けがなされていること、次は、その調味料が洗い流されるという事実。
 大袈裟に言えばコロンブスの卵のようなものですが、粗食/節食に馴らされた者は、頭から「調味料は使ってはいけない」という考えが沁み込んでいるため、そこから「荒い流す」という発想はまず「浮かばない」ものなのです。


 話はたったこれでのことですが、ここまで来るのに10年もかかったと思うと、自分の頭の容量の小ささ、指導教育の難しさ、など多くのことを考えさせられた次第でありました。(了)。