ストラデイヴァリウスの周辺

 

ヴァイオリンの名器

ヴァイオリンの名器

20年来の友人Y氏がいます。定年後、関西で合唱を趣味とするY氏は、市民オペラ「カルメン」に出演し、私もその頃、市民オペラ/オケで「カルメン」に参加していたということから週1回程度のメール交換が始まって、もう20年になるのです。Y氏は声楽、私は弦楽ということで、互いに異なる意見の往来があり、氏からは舞台演出、合唱練習、声の出し方のことなどを教わり、またオペラ、器楽演奏のビデオなどの寄贈を受けることとなりました。例えば「松田理奈」(Vn)、「堤剛」(Vc)、氏が出演したオペレッタ「メリーウイドウ」と「こうもり」、「タイスの瞑想曲」(NHK「うららクラシック」加藤知子/Vn)など。


「タイス」の加藤知子の演奏からは、勿論「運指」「ボーイング」「美音の出し方」「表情の付け方」など、多くのことを教わり、素人には容易に真似すら出来ないことを悟らされましだ。

 先日 贈られたのが心躍るNHK番組「ストラデイヴァリウスの謎」です。これはカレンという凄腕の女性ヴァイオリニストが、クレモナはじめ、ヴァイオリン製作にゆかりのある土地、製作家たちを探訪するという企画。
 画面に出て来たメニューインオイストラフがストラド(ストラデイヴァリウスの別称)を弾く姿が懐かしく、とりわけ、オイストラフの人馬一体のような柔軟な演奏姿が印象的でした。


 私も下手な弦楽器(VcとVc)をいじるので演奏や音には興味があります。昔のLPレコード時代、ストラド、ガルネリ、アマテイ、ガダニーニ等の名器の音を集めたレコードが出ましたが、しかし、針で盤面が摩耗するので、滅多に音を出さず、そのままにしてあります。録音というのはブルッフのVn協の冒頭だけを集めたものですが、聞いていてその差はまず分かりません。どれもが素晴しいと言うしかないのです。
 ガダニーニでの名演はミンツの演奏(クライスラー特集)で聞けますし、松田理奈は最近までそれを用いいて名盤「カルメン幻想曲」を世に問い、一躍有名になりました。私はファンです。


 NHKの探訪記にもストラドと現代楽器との弾き比べがありました。的中率は20〜50%とのこと。弾く本人にはストラドの凄みが分かる、とか、ホールでの音響特性だとかの説明がありましたが、我々素人にはまず縁のない話でしょう。


 ハイフェッツの話では、彼はトノーニという殆ど無名の楽器を用いて演奏し「やはりストラドの美音は凄い」と褒めそやす評論家たちを陰で笑っていた、ということです。全くお人が悪い。名人が弾けば楽器は鳴ってくれるというのは分かりますが、素人はストラドを弾いても、下手は下手である、という事実に変わりはありません。


 一つ朗報? があります。今はどうか知りませんが、東京文化会館に録音専門の無響の部屋があり、ここで響きが悪いのを我慢して演奏すると、それを放送局用の幅広高速テープで録音して貰えます。再生するとこれが驚き!----- 素人演奏がまるで市販CDのような美音に変身しているのです。しかし、音程や音質の悪さまでバッチリ録音されているので、儚い夢はここで消えます。


 探訪記ではクレモナの製作工房を訪ね、製作がストラド当時の素朴な図面や道具によっていることが分かり、名器製作の謎は明かされないまま。ニスも決め手ではなさそうです。(ニスは楽器の響きを止める、という説があります)。
 カレンは楽器の原材料を産出するイタリア北部の原木林を訪ねます。そこは夏でも寒い地域で、ここで育つ松は年輪が細かく、それが音に貢献するのだといいます。
 更に分かったことは、ストラデイヴァリウスは、遥か昔の寒冷時代の原木を使ったらしいということ。(私は、いま、ストラド級の名器が再現出来ない最大の理由はこれではないか、と思っているのですが)。


 用いる木材は楽器の美観にも関係します。表板は目の細かい木目の積んだ松材。木目は縦に通っている(ニス塗りは極めて困難)。
 美観は裏板(楓)に極まります。一目見てその美しさに惚れ込まずにはいられないでしょう。裏板は(表板も)左右2枚の板を継ぎ合わせてありますが、これは響きの均一性を求めてのことです。しかし、接合面は4ミリ程度の厚みしかなく、いつ破壊されるか、慣れるまでは腫れ物に触るような気持です。裏板には破損防止用の小木片を幾つか貼ってありますが「気休めだ」という人もいます。表板は全くの無防備で魂柱が僅かな支えになっている感じですね。
 そうした不安を抱えながら、特に裏板の木目の美しさにはいつも心を奪われます。ヴァイオリンの裏側をすぐに見る人は、よほどの楽器好きと思って間違いなさそうですね。
 近い将来、3Dプリンターが発達し、松や楓の削り屑をプリンターに放り込んでおけば、ストラドと同一の表板、裏板が出来るかもしれませんが、この木目の美しさを再現するのは不可能でしょう。
 表/裏板にはニスを塗るのですが、塗った後から磨きをかけます。すると暫くしてニスの輝きとともに(特に裏板の)木目の美しさが浮かび出てくるのです。


 楽器は演奏の道具ですから、やたらにストラドを神格化するのはどうか、という考えもあるのかもしれませんが、3Dプリンター製のストラドだけは願い下げにして貰いたいものです。


 楽器に用いる弦には関わりはないのでしょうか。いまの主力のスチール弦ではなく昔はガット弦で、しかもストラドは昔から最優秀楽器だとされてきたのは事実でしょう。
 弦につていては、アマチュアの石川フイル/コンサートマスターの優れたコメントがあリます。弦の断面は丸い------ その丸い断面の上部を弓毛で擦ることになるのですが、演奏は弓で弦を上か圧迫するのではなく、横に上手に滑らせて音を出すように案配せよ----- 確かそのような趣旨のコメントだったように思われます。
 弦は製作技術が進んで、次第に丈夫で細く弾き易い傾向に進むと思われるので、細い弦から美音を如何に導き出すか、が今後の課題ではないか、と思われる次第。


 探訪は次第に進んで、昔は個人プレーで秘密とされた製作技法が、いまや名工たちが連携して研究する試みにまで及んでいることを明らかにされます。
 その一つは、ヴァイオリン好きの医師がCTスキャンを用いて楽器を精査し、楽器の内部構造までを、縦横左右上下から自在に観察出来るようにした試み。
 そのデータを使って名工が完璧なコピーと誇る製品を仕上げ、それをカレンが演奏するシーンが紹介されました。
 曲はチャイコフスー/協奏曲の冒頭。名演に聞き入る名工たちの表情は何とも言えず美しいものでした。そして、くだんの医師の目には涙が。この涙は彼の努力に与えられた金メダルでしょう。

 
 番組最後の場面は、ストラドと共に名工の作品をも展示したアメリカ議会図書館メトロポリタン美術館にもストラドが収蔵されてあり、他の美術館には手動タイプライター(オリベッテイ)、車のフォルクスワーゲン(カブト虫)、まであります。
 が、何故ヴァイオリンが図書館に?
 これは国の文化の違いというのか、ヴァイオリンを図書と同様に人間の知恵と創造の賜物と考え、図書館はその一大集積地とでも思えば納得がいくことではないでしょうか。


 カレンはそこの広いホールで、ストラドと名工作品の演奏を試みました。
 曲はマスネーの「タイスの瞑想曲」。一音一音を確かめるようなカレンの演奏は加藤知子とは一味違った趣きがあります。揺れ動くタイスの心情が心憎く表現されています。

 
 実に味わい深い番組でした。