私のアマチュア音楽小史

 ある音楽愛好家倶楽部に原稿を寄稿してみました。
 私は下手なアマチュア(ヴァイオリン/チェロ)として、長い間、室内楽やオーケストラにかかわってきましたが、一口にアマチュアの音楽といっても、そこにはいろいろな変遷や色合いがあります。「俯瞰」というほどのものではありませんが、私がかかわってきた狭い範囲内でのことを自分なりに纏めてみました。あるいは「小史」と呼べるものになれば、少なくとも自分史のかわりぐらいにはなるのではないか、と思います。
 「狭い範囲内」と申しますのは、長く音楽にかかわっていながら、プロの演奏会やリサイタルには殆ど顔を出したことがなく、見聞は大方はテレビやCDに限られるということです。参加出来たのは殆どがアマチュアの音楽活動で、これで果たして良いものやらどうかは分りませんが、ともかくも自分なりの「小史」です。

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◇ 私たちの回りには音楽が溢れておりますが、ポピュラー音楽の盛況には一歩譲るにしても、クラシック音楽活動は、特にアマチュアの活動面においては、刮目すべきものがあると思われます。
 私が小中学校の頃は、学校にピアノはあっても、それで音楽の先生からちゃんとした音楽教育を受けた記憶は全くなくて、せいぜい文部省唱歌を(重唱ではなく)歌わされる程度でした。
 それがどうでしょう、今では小学生のオーケストラがベートーヴェン「第九」交響曲を演奏してしまう時代となっております。市民だけの企画/運営でオペラが上演されることも普通のこととなりました。何よりも嬉しいのは、世のオジサン、オバサンたちが年寄りの冷水などとかわかわれることなく、ごく自然に音楽が楽しめるようになったことです。
 年末の「第九」ブームも、町に溢れるアマチュアオーケストラとアマチュア合唱団の存在を抜きにしては語れません。


◇ アマアチュア音楽活動というと、普通考えられるのは、室内楽やオーケストラ(含/オペラ)です。例えば、
● あるサラリーマンの方(ピアノ)は、定年までの間に仲間との公開室内楽演奏会を企画/演奏し、独力で年に春秋2回の公演を重ねた結果、先般、目出度く50回の演奏実績を達成しました。仲間との交誼が成功の大きな要因であり、反面、思わぬ苦労や企画面での変遷もあったのではないか、と拝察されます。
● これもあるサラリーマンの方ですが、年に一回、郊外の集会施設を活用して、仲間との室内楽会を主催しておりました。市民生活のなかに自家用車が普及したことが活動継続の一つの要因と考えられます。自前で奥様共々茶菓アルコールのサービスをする一方で主催者特権を利用し、殆どのプログラムに自分も出演(ヴァイオリン/ヴィオラ)する、という働きを見せてくれました。
 主催者個人の主義や嗜好がほどよく活かされ、参加者たちは彼の「専行」ぶりをを暖かく受け入れて暖かく協力したのでした。
● 定年を迎えたサラリーマン。オーケストラで活躍出来るほどのフルートの腕前を発揮して、定年記念リサイタルを開催しました。ホールを借りきり、多くの会社の上司や同僚、友人たちが手伝うなかで、フルートの独演会を開催、暖かい拍手に包まれました。
 会社員としての「無難な」趣味は囲碁将棋、ゴルフなどで、クラシック音楽というと、とかく仕事とは両立しないようなマイナスの雰囲気がありますが、定年まで恙なく仕事と趣味(それと家庭)を併立させ、紆余曲折はあったにせよ、上司同僚の祝福のなかで定年(とその後の顧問勤務)を迎えることが出来た、というのは文句なしに素晴しいことです。
● 大学にオーケストラがあることは珍しくもありませんが、ある大学では、日本のアマチュアオーケストラとして、ベートーヴェン「第九」交響曲を初演したという栄誉を誇りとしております。(私/ヴァイオリンも参加)。
 卒業生たちは、社会のあちこちでオーケストラを続け、なかにはプロになった人もいます。その活動例の一つは、小人数のセミクラシック音楽活動で、企画、運営、さらには福祉施設への慰問演奏を殆ど無償で行っています。活動には演奏曲の編曲、楽譜制作、配布、演奏に資する参考CD制作、演奏会記録CD作成配布等まで含まれます。それを殆ど一人の人間が、ひたすら仲間たちの為に行っているのですから、恐れ入らざるをえません。
 卒業生たちでオーケストラ活動を続けている例は、まあ普通のことといえましょう。このオーケストラは「50歳以上」という厳しい?条件付きで、先年べートーヴェン「第九」交響曲公演を行いました。合唱の中心となったのは大学合唱団のOB/OGたちです。
 ほか、年に一回、この卒業生オーケストラは、合宿で交響曲等の演奏を楽しむのですが、それは予め楽譜を配布しておいて合宿地に集合し、そこで即席演奏会を開くという趣向です。
 本年秋は合宿(即席合奏)でドヴォルザークの「新世界」、それに合宿先の地元合唱団を加えて、「タンホイザー大行進曲」や「アッヴェヴェルム コルプス」楽しむことになっています。即席合奏というのはプロがあまり評価しないのは当然でしょうが、ともかくストップしない程度で最後まで行き着けるだろうという見込みはあります。
 それに、即席で荒い音などを出すと、いくらアマチュアでも「無謀だ」として快く思わない人がいるものですが、同窓生同士というと、不思議にそこらあたりが免責されてしまうのが有難いところでしょう。
● アマチュアオーケストラには、上記の免責?オーケストラ以外に色々なタイプのものがあります。
 まず考えられるのがアマチュアながら他に抜きん出た技術を誇るオーケストラ。それはそれで結構なことなのですが、問題は、その腕自慢のオーケストラのなかで音楽が楽しめるだろうか、という奇妙な問題です。オーケストラは下手なのがいい、という意味ではありませんが、しかし、下手なオーケストラであるほど団員相互の親睦は深まる、というのが多くの人の認めるところとなっているようです。(確証なし)。
 アマチュアオーケストラにも、公共団体がお抱え、というものもあります。そこでは、スポンサーがどの範囲まで口を出す(支援する)かが問題です。
 税金で支援を行うからには、納税者の意向を勘案して団運営を考える、という路線はある意味当然です。
 昔、こういうスポンサーがいました。支援されていない他のアマチュアオーケストラのことを斟酌して、支援オーケストラではなくべく突出した存在とならないように気を付けよう、というものでした。しかし、これは問題です。支援を受けられるなら、支援者の厚意を最大限に活かして、日本一の優れたオーケストラを目指すのが認められてしかるべきではないでしょうか。
 私の地元のオーケストラは、支援を好ましい形で活かしています。例えば、親子を招待してのコンサート。お子様相手だからといって手抜きするのではなく、演奏にはフルオーケストラで対応します。演出にも配意し、指揮者は団員に笑顔での演奏を指示するなど、毎回、楽しい、子供が後々まで良い思い出が残るような企画となっています。
 別のオーケストラでは、青少年育成というコンセプトから、練習には弦楽器を学習中の子供たちを同席させています。
 アマチュアオーケストラは、一般に広く門戸を開いているといっても、楽器演奏というハードルを超えるのは容易ではなく、入団したものの周囲からの(冷たい?)目うを意識して、いつのまにか止めてしまう人が少なくないのです。
 あるアンサンブルでは、楽器を買ったばかりの超初心者でも参加させて楽しく合奏しておりました。その手法は、超初心者たちの周囲をベテラン奏者が取り囲んで、モーツアルト交響曲などを演奏するのです。
 普通、こうした曲の演奏の輪に加わるには、数年以上の稽古が必要なのですが、上記の手法を取ると、超初心者でも自分で演奏出来たかのような疑似体験を味わうことが出来て、早くから音楽の楽しみを満喫することが出来るというわけです。
 こういう人たちは稽古に励みが出て、多少の困難でも挫折することはないでしょう。
● 先に即席合奏オーケストラのことに触れました。これは現在、もう当り前のこととなっているようです。但し、内容不問!が鉄則となっているようですが、ここまでアマチュア音楽活動が成長してきていることを、まず慶賀すべきでしょう。
 特に強く印象に残っているのは、ネットを活用して結びついた仲間同士が企画、発案、実行したベートーヴェンの全交響曲の即日/即席演奏会です。指揮者、楽員、合唱全員がアマチュアであるのは当然ですが、無謀とはいえ、何とかクリアしてしまったことにはプロも(呆れる一方で)驚かされたのではないでしょうか。この「一発即成」演奏会は、その後、ブラームス交響曲演奏、あるいはショスタコヴィッチ、シベリウスマーラーなどという企画に引き継がれました。
● その一つの成果は、アマチュア主催のオペラ公演に見られます。一つには全国的に育ってきた合唱活動の熟成の成果にもよるのですが、前記の即成オーケストラと地方都市での公共音楽ホールの整備によって、アマチュアの自主制作によるオペラ公演が可能となりまっした。
 実は、私は戦後初来日したイタリア歌劇団引っ越し公演「アイーダ」の奴隷役(アルバイト、科白なし)で、生まれて初めて(日本国民にとっても本格オペラは初めて)本格オペラというものの実物に接することが出来、モナコ、シミオナートというった超一流歌手と同じ舞台に立つ、という夢のような光栄に浴することを得ました。
 そして、後年、アマチュアの「アイーダ」自主公演で募集されたアマチュアオーケストラに参加(チェロ)することを得て、オケピットのなかから、オペラ誕生の苦楽といきさつを逐一この目で見ることが出来ました。いまは、ある大学が指揮、演出、ソリスト、オーケストラ、合唱、舞台装置、小道具、照明、音響等の各般に亘って、すべてアマリュアだけで自主公演を行っております。
 うまくいけば、公演頻度の多い「アイーダ」、「カルメン」のような出し物については、大劇場の衣装や装置などの貸し出しを受けることも出来るのではないでしょうか。オペラ歌手や演出家の卵や、合唱団、照明/音響技術者の育成等にも貢献することが出来、今後が楽しみです。
● オーケストラのありようにも変化が見られます。オーケストラ演奏は聴衆のためのもの、という原点に立てば、福祉施設などの慰問演奏専門のオーケストラも現れました。このオーケストラのメンバーは、慰問演奏の企画や曲目をみて、各自が申し込み、臨時編成の即席オーケストラが出前演奏を行う、という仕組みです。オーケストラは高尚で、お高く留っている、という批判を吹き飛ばすような素敵な事業ですね。
● 演奏には楽器演奏という壁があるのが難点ですが、この壁がとかくクラシック音楽の内側だけにあるのに飽き足らず、その外に出て、優れた演奏技術を、それもポピュラー音楽の分野で活かそうとする試みは以前からありました。
 一つには、優秀なオーケストラがセミクラシックやポピュラーを演奏する、例えば、ボストンポップス、マントヴァーニ、ポールモーリアなど。ミュージカル「南大平洋」(映画版)でフルオーケストラを駆使して示されたR.ロジャスの素晴しい音楽は、二十世紀を代表する最大級の文化遺産ではないか、と私は信じております。
 もう一方には、ヴァイオリンやピアノの優れた技巧を活かした個人あるいは、小アンサンブルの活動があります。以前のこと、NHK教養番組/楽器学習講座で、純クラシック系ヴァイオリンの講座と共に、ジャズ系ヴァイオリンの演奏講座も行われ、NHKの先進性に感服させられたことがありました。
 昔だったら、芸大や桐朋でジャズ系の演奏を考えただけでも破門されかねまじき風潮でしたが、いまでは当り前のこととなりました。ジャズ系ヴァイオリンで求められるタンゴ調や即興性はおいそれと出来るものではありません。多数の方が活躍されているなかで、例えば、桐朋ヴァイオリン出身のテツさん(岡田鉄平)は、冗談音楽の分野で大活躍。彼の「カプリス第24番」(パガニーニ)や、「カルメン幻想曲」(サラサーテ)を聞いてみれば、もはや大道芸人(失礼)とは言えないほどの腕前に感服させられてしまいます。
● オーケストラを小さくしたような室内楽の分野はどうでしょうか。(私は、室内楽はミニオーケストラではなく、逆に、室内楽の延長がオーケストラなのだと考えておりますが)。言うまでもなく、その層、レベル、レパートリーなどは目覚ましく向上しているように思われます。室内楽を愛好する人たちの全国的な組織が以前から存在しております。最近、腕の覚えのある有志たちが演奏会を催しました。一発オーケストラならぬ一発即席演奏会です。内容は驚くなかれ、ベートーヴェンの全弦楽四重奏曲でした。即席というのは、各自が自宅で勉強してきて、当日、ステージ上で初めて合わせることです。
 以前のこと、親しい人たいのパーテイで弦楽四重奏のアトラクションがありました。当日初顔合わせした四人の演奏者たちは、別室で持ち寄った楽譜をひろげ、任意に曲を選び、そのままパーテイの即席ステージに出てきたのです。なかなか出来ることではありませんが、一寸不安になるのは、演奏が途中で止るような心配はないにしても、演奏の質は果たして聴衆のお気に召しただろうかということです。また、弦楽器の音色、音質はどうだったであろうか、ということです。練習を重ねてきてさえ演奏がうまくゆく保証はないのに、即席でうまくいくのだろうか------ という疑問は当然ありえます。アマチュアだからといって、何でも許されるのでしょうか。野暮な疑問かもしれませんが、これが今度の課題ということになりましょうか。また、腕達者な演奏者にまま見られることですが、やたらに早い楽章だけを好み、音楽の粋とも言うべき緩徐楽章を割愛してしまうことがあります。(アレグロ症候群と呼ばれることがあります)。こういう人たちは、やはり音楽の粋ともいうべき珠玉の小品を避けてしまう傾向があるように見えることがあります。私の感じでは、小品をうまく表現出来る腕がなければ、大曲をクリアするのは難しいのではないか、と思ったりします。小品にはいろいろありますが、私が経験した「イエスタデイ」(ビートルズ)の弦楽四重奏版は、なかなか良く出来ていました。何でも、アメリカの小学校の音楽教材だそうです。日本でも、「故郷」、「赤トンボ」、「浜辺の歌」などが弦楽合奏教材に使われたら、どんなに音楽の授業が楽しくなることでしょう。私の狭い経験での話ですが、これら小品に興味を示すアマチュアは意外と少ないような印象を受けています。
 アマチュア仲間たちの演奏会で、録音は出演者の事前許可がなければなければまかりならぬ、という話を聞きました。
 自分の演奏の録音を聞くのは、誰でも苦痛でしょう。じゃあ、自分が聞きたくない演奏を、お客に聞かせるとはどういうことになりましょうか。これも一つの課題でしょう。
 それと、室内楽は、楽器演奏という壁と内容がクラシックであるという点で、愛好者がなかなか増えない、ということを心配する空気があることは事実です。しかし、愛好者の多寡などは問題なのではなく、本当に好きな人たちだけが集って楽しめばそれでよいのではないでしょうか。ほかの趣味や稽古事も同じでしょう。室内楽のいいところは、稽古すれば多少は進歩し、怠ければ退歩する、ということが幼児にも容易に理解出来ることです。挑戦の喜びと素晴しい音楽の鑑賞が同期していることです。これは、他の趣味にはない醍醐味(苦しみと喜びと恥)だと思われます。


<権兵衛の一言>
「聴かなくても語れるクラシック」(中川右介)という面白い本があります。世間様とお付き合いするには「聴かなくても語れる」くらいのクラシックの知識は必要ではないか、というものです。
 しかし、付け焼き刃ですまされるか、といえば必ずしもそうではなく、それはすぐバレてしまう、という厳しい面は否めないので、一種のユニークなックラシック入門書である、とも言えます。