ここが分かりませ〜ん/裁判員制度


 実施目前の裁判員制度。既に候補者には通知が送られたが、辞退方法についての問い合わせが多いという。
 なかには進んで拝命したい、という人もいるのだろうが、今一つこの制度の中身がはっきりしないところがある。(不勉強のせいだが)。
 有識者によると、国民には辞退する理由などないという。何故なら国民の権利/義務行使の方途が一つ新たに開けたからだそうだ。
 国民の国政への参加方法には少なくとも三つある。
 立法、行政、そして司法。
 立法----- 例えば、議員になりたければ、一定の条件を満たせば立候補出来る。孤立無縁であっても、助ける神がいれば当選出来る。
 行政----- 公務員受験の門は大きく開かれている。
 そして司法。これは些か困難である。裁判所、検察庁、弁護士事務所等の職員になることは出来るが、いってみれば補助職である。しかし、本命である裁判官、検察官、弁護士への道は極度に狭い。


 しかし、事態は急展開した。ズブの素人でも、しかも、希望しなくても(?)裁判に参画する道が開けたのである。
 ここで、素人であればこその「疑問」がある。(辞退したくなる理由の一つであろう)。失礼に当たることもあろうが、質問をお許し願いたい。
(1)精神鑑定について
 最近、動機が分からぬ事件が増えてきた。「誰でもよかった殺人事件」などだ。そこで、「精神鑑定」の出番となる。
 その道の権威に依頼するのは当然だとして、大抵は一人に依頼されることが多いようだ。
 これが分からぬ。いくら権威だからといって、ただ一人だけの鑑定結果がどこまで説得力を持ちうるのか。
 勿論、鑑定結果を採用するかしないかは、裁判官によるのだが。
 しかし、素人(社会人)の常識に従えば、白/黒/灰色等の複数の鑑定結果が出てきて採用を待つ、というのが普通なのではなかろうか。
 そんなことをしていたら裁判は進まぬ、という理由も考えられるが、素人にはこここのところが、どうにも分からない。
 また、採用された鑑定結果の信憑性を、裁判員はどうやって確認すればいいのだろうか。それを用いて出された判決に自信が持てるだろうか。
(2)判決
 判決は裁判官(プロ)と裁判員(アマチュア)の合議で出されるという。ここで、素人裁判員の判断は、プロ裁判官に押し切られてしまうのが常ではないか、というのはよく語られていることだ。
 プロの考えが社会常識に反しないように----- というのが、裁判員導入の精神ではなかったのか。
 プロが拠り所とする法律は、実は社会常識の反映---- というのは建前に近く、アマチュアは膨大な法律の大群に圧倒されてしまいがちだ。
 法律の世界に常駐しているプロの常識とアマチュアの常識は、水と油の如く、いくら合議しても歩み寄る余地は少ないのではないか、というのが素人の懸念である。
(3)判決に至るノウハウ
 人の運命を左右する判決が、安直なノウハウに寄りかかっていい筈はない。しかし、記憶力と判断力に優れたプロ裁判官の判決能力と素人のそれに格差があることは、容易に想像出来る。
 裁判官が本来持っている豊富な法律知識と判断手順などから導き出される判決ノウハウには、素人は及びえないのではないか。及ばないからこそ素人なのである。
 よく分からぬが、例えば、ノートの左側に、判決を導く事実関係、動機、精神鑑定結果などを纏め、右側に適用可能な法規類を摘記する----- などのノウハウは、プロアマを問わず有効なのではあるまいか。
 これは企業秘密だとか、自己責任だとか言わないで、親切に教えて貰えないものだろうか。
(4)判決の重さ
 死刑が極刑とは限らぬ、生涯自由を拘束される無期懲役は死刑に勝る刑罰である------ とする意見がある。
 どう考えればいいのだろうか。


<権兵衛の一言>
 これらの疑問について勉強出来るなら、裁判員になるのもいいかもしれない。
 しかし、勉強出来たとしても、なお、不当判決や冤罪はありうる。手遅れになったどうしよう。
 

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