秋深し(7)本2題/うな重、変容

◇◇ 「外交官の”うな重方式”英語勉強法(多賀敏行)
 これも頭の体操式読書方式。どういう切り口で攻略法に迫っていくかに興味がある。
 著者は、外務省から東京都庁に移籍し儀典長を勤める
公務員。いわば高級官僚である著者が、いまさら英語上達法でもあるまいに、という気もするのだが、長年海外で英語を武器として、間違いが許されない責任の重い仕事と戦ってきた経歴を考えてみると、細かい文法や言い回しに拘ることのなかにこそ、大きな仕事をクリア出来る鍵があるのだ、と思えてくる。
 一つの例として、女優寺島しのぶ が結婚に際して、彼との幸せな生活を「エブリタイム キスよ」と表現したことを、英語としては少しおかしいと指摘していた。
 これは必ずしも彼女の結婚に水をさした訳ではなく、たまたま日本人が陥り易いミスの例として挙げただけなのであろうが、一寸見では何でもないようでいて、実は
重大な外交交渉の場では命取りになりかねないようなミスは確かに存在する。
 英会話教室では先生が笑って見過ごしてくれるだけのことだが、著者が言いたいのは、こういう小さな(重大な)ミスを犯さないようにする日常的な勉強と緊張感の積み重ねみが、英語上達を可能にする、ということなのであろう。


 この本は英語上達法という固い題名を持っているが、題材を平易な、あるいは外交問題から選び、そこから学習を展開するという手法を取っている。
 著者は「新々英文解釈研究」(山崎貞)という、およそ100年前に書かれた本を今も通用する参考書として挙げている。その気さえあれば、本の新旧など問題ではないのだ。英語は寺子屋でも学べる。
 著者は「文法など無視せよ」といった類の無責任な勉強法を強く排し、コツコツと辞書をひきながら地道に勉強すること以外に上達する道はない、と説く。
 爽やかな印象を残す本である。


◇◇ 「変容」(伊藤整
 衝撃そのものの本。
 まず、50年も前の問題作という点、私の不勉強で何一つ知らなかったという点、そして著者が54歳であったという点において。
 いまでこそ老人の存在が強調され、その存在意義が問われるような時代風潮となっているが、それは老人をどこか弱者として見る視点に傾いているように思われる。後期高齢者がその好例(悪例?)であろう。
 著者自身も強く意識していたであろう老人というのは、自分のために社会で自分を偽ることなく強く生きる存在である。
 一応の社会的地位と財力があり、知力と魅力のある、しかも年長の女性に接近するパワーを持つ。それを周囲に洩らさないだけの智慧を持ち合わせているから、若者たちは気付かず、無力な老人として自分たちの競争相手とは認めない。
 ここでは結婚というものも、必ずしも社会での制約とはならず、その死後には忘れ去られているような状態だ。
 映画「生きる」で歌われ、我々の心に忘れがたい感銘を残した「命短し恋せよ乙女 花の唇褪せぬ間に」------- その唇の色が褪せ、黒髪が灰色になった女性たちが、強力な存在感を持って登場するのである。


 そういうものを背景として、この小説は展開する。発表当時は衝撃作とされたであろうし、いまもそうであろう。
 私は作家/黒井千次氏の推奨によってこの本を知ったのだが、黒井氏は人生を奥を凝視するような作家で、その人の推奨には意味が感じられる。
 氏は大きな感動を覚えたとされ、老年の意義について強調しておられた。
 その通りであろうが、少し気にかかるところもある。老人はすべて力のある人であるとは限らない。その人たちはどう描かれるのであろうか。描かれる値打ちも必要もない、というのは一寸困ることではないか。
 傑作とされる作品を、低いレベルに下げてもの申しては恐縮であるが、知力、財力に欠け、平凡な趣味や老人クラブなどでやっと時を過している老人たちは、著者にはどう映じていたのであろうか。


<権兵衛の一言>
 一読、世界が変わるという本はあるのだろうが、これもその一つかもしれない。
 しかし、明日にはまた印象が変わっているかもしれない。これを鈍感力というのかもしれぬ。流れのままにというか、叩かれ強いというのか。
 生きていくためには、いろいろな力が必要なようだ。


変容 (岩波文庫)

変容 (岩波文庫)