時事寸感(15)/自・民党、篤姫


 麻生総理の所信表明演説が話題となっている。つまり、「所信表明」ではなく、民主党に対する「質問状」(挑戦状?)となっているのが、従来の形と違っている、というとろからくる疑念と戸惑いであろうか。
 しかし、そもそも「所信表明演説」に所定の形式があったのであろうか。あるべきなのか。
 所信を自由に述べていいということであれば、文句のつけようがない。現下の「ねじれ現象」が当面変えようがないとすれば、自民党としては相手方の民主党に対して、質問をぶつけながら、国民本位の政策を形成していく以外に最善の方策はないのではないか。
 こういう意味では、今回の演説が型破り、筋違いのものであろうとなかろうと、演説の中身としては肯定しても苦しからず、ということになるのではなかろうか。
 時代とともに、政治の形も変わるのだ------ と考えたのは、最近刊の「ローマから日本が見える」(塩野七生)を瞥見してからのことだ。


 瞥見というのは、要するに斜め読みということだから、自信を持って言えることではないが、瞥見したなかに、例えば次のようなくだりがあった。
 手持ちの政策カードのあれこれを見定め、通用するカードを組み合わせて最大の効果を狙う------ ローマ人はこの点での達人であった。


 この著書は、日本はローマから何を学ぶか、ということを最大眼目として書かれている。
 「カード」の例えから学べるのは、政治の変わり目の妙である。
 麻生演説の妙味を、もっと味わってみる必要がありはしないか。
 その演説が、自民党民主党の無益な対立を克服して
「自・民党」政策(あるいは、大連立?)とでも言えるほどのものに成熟してくれることを(無駄かもしれないが)祈ってみたいような気がする。


 話は変わるが、いまの政治状況で好感が持てるものを一つ擧げるとすれは、それは与謝野大臣の存在感である。地味な存在には見えるが、その影響力には確かなものがあるように思われる(思いたい)。
 増税の必要性を憚るところなく開陳し、それでいて内閣閣僚として留まれるのは、ローマ風に見ても好ましいことだ。(私は増税を好むものではないが)。
 ただ、その率直さゆえに、心ない抵抗派から追い落とされることがないか、それが気掛かりである。


 与謝野氏はただ一人、「そのうちに福田前首相を惜しむ声が出てくるでろう」という趣旨のことを述べている。福田氏も効果的なカードの役割を果たしていたのだ。
 塩野氏の言葉を借りると、国家や組織が衰退期に入るのは、人材が払底しているからではない。その人材を活用するメカニズムが狂ってくるのだ。


 麻生内閣の行くへを、少し気長に注目して見ることとしよう。仕事の成果も見ずに、最初から叩きに叩くというのは、マスコミの国民に対する◯◯ではあるまいか、と私は思っている(この◯◯のなかに、好きな言葉を入れてみて下さい)。


 麻生リーダーの在り方論に関連して連想されるのは、NHKテレビで好評の「篤姫」である。
 「篤姫」については、以前に御紹介した宮尾登美子氏の大著があり、やっと読了したところだ。
 感想は、この姫が男子で幕末政治の表舞台で活躍出来たなら、政治の様相は少しく変わっていたかもしれないということだ。
 その器は「聡明」さの域を遥かに越えている。
 篤姫は、薩摩藩主島津成彬の養女として徳川将軍家定のもとへ嫁入りさせられるが、その内実は、次期将軍に
慶喜を迎え入れるという密命を帯びたものだった。
 しかし、徳川家の人間となってからは彼女のなかに変化が生じ、結果としてこの密命に従わない結果となる。
 背信とも言えるが、この徳川家の人間になり切るという点に、彼女の非凡さがあるというように描かれている。
 彼女は大奥三千人を統率する主となるが、大奥は表向きの政治には関与しないという風習を破って、ことあるごとに政治に口を出し、しかも、それが的確な判断であるとされる場合が多い、と評価されることになる。家定はその才能を買い、次期将軍の後見役として貢献してくれるように、篤姫に言いおくのである。


 問題は、判断の基礎となる情報力であるが、側近を巧みに用い、小説では西郷隆盛からも情報を得ていたとされる。必要ななれば、徳川政権の要である大老、老中をも遠慮なく呼びつけたとある。
 この情報力や西郷、勝海舟等との人脈が、江戸城無血開城にも繋がったということらしい。
 篤姫が総帥としても器であったということは、意見をはっきりと持って、それを腹蔵なく述べたということと並んで、言うべきでないこと、言っても詮無いことは言わなかった、という点は小説に詳しい。
 言いたいことを抑えるということは、特に権力の座にある者としては、特に必要な資質であるとされている。
 そこまでを描き切る小説は少ないともいえるが、宮尾さんの本は、この点でも優れていると思われたことであった。
 篤姫は48歳の若さで世を去ったのは惜しまれることだが、その時の世は既に明治となっており、その意味では安らかな生涯を全う出来たといえるのかもしれない。

 
<権兵衛の一言>
 遠い残雪のやうな希みよ 光ってあれ

ローマから日本が見える (集英社文庫)

ローマから日本が見える (集英社文庫)