痛恨「雪の夜」

 以前、このブログで「遠い残雪のような------」で始まる戦没学生の詩を紹介したことがあった。
 その詩は「きけわだつみのこえ」で拝見したのだが、作者不詳となっていたような記憶がある。
 作者はどういう方なのか知りたいと兼ねて思っていたのだが、先日、ネットで偶然にこの詩についての書き込みに出会った。
 そこでは詩の題は「雪の夜」、作者は田辺利宏氏となっていた。田辺氏は陸軍兵士として26歳で戦死、この詩はその前年に作られたものであった。
 私の記憶していた詩に用語など若干の間違いがあったので、ここで改めて御紹介してみることとする。


 <雪の夜>    田辺利宏


遠い残雪のやうな希みよ、光ってあれ。
たとへそれが何の光であらうとも
虚無の人をみちびく力とはなるであらう。
同じ地点に異なる星を仰ぐ者の
寂蓼とそして精神の自由のみ
俺が人間であったことを思ひ出させてくれるのだ。


 私が特に感銘を覚えるのは、末尾の3行である。
 戦時下で軍国主義一色であった当時の日本陸軍で「精神の自由」や「人間」を謳いあげる若者が実在したとは。


 「きけわだつみのこえ」は映画にもなった。海外戦地の塹壕のなかで、ある兵士が遠い祖国を偲びつつ、隣の戦友にこの詩を語り聞かせていた。
 決死の戦闘を前にした「遠い残雪のやうな希み」とは、どのようなものであったのか。
 平和や飽食に慣れた我々には想像も及ばないことではある。


 先年みたテレビドラマでこういうシーンがあった。
 敗戦を目前にした日本軍部は、小型潜水艇に魚雷を積んだ特攻兵器「回天」を用意し、兵士たちが訓練に従事する。攻撃を目前に、突然ある兵士がタイムスリップして、現代の日本に出現する。
 その兵士が目にしたものは、植民地とみまがうばかりのケバケバしい街並を、アイスクリームをなめならら歩くガングロの少女たちだった。
 兵士は「俺たちが守ろうとして戦っていたのは、こんな日本だったのか」と心中で激語するのである。
 その言葉をもともに向けられて当惑しない日本人がいるであろうか。
 「雪の夜」は、長く長く語り継がれていくべき魂の詩である。


<権兵衛の一言>
 唐突だが、確か23歳の松田理奈さんを思い出した。26歳の田辺さんとは何の接点もないのだが、殆ど無為に過してしまった私自身の20歳代を想起して、ひたすら不甲斐ないという思いがしてならない。