音楽閑話(15)/ 松田理奈(ヴァイオリン)の風格


 チャイコフスキー「アンダンテ カンタービレ」をレパートリーにしている女流ヴァイオリニストがいる、と聞いて、そのCDを求めてみた。
 この曲は、弦楽四重奏曲第1番の第2楽章で、甘美な旋律で有名。また弦楽四重奏曲の一部となっているのが珍しい感じで、私の愛好曲だった。
 しかし、甘美ではあっても、天才級のヴァイオリニストが、その腕前を披露するために選ぶ曲種とは思われず、これをレパートリーとするヴァイオリニストとはどのような人物なのか、少しく興味を持っていた次第。
 弦楽仲間とこの楽章を試みたことはあるが、特異な曲だけに合わせるのが難しく、そう難しくはないのだが、一種の難曲として手が届きにくい存在だった。


 松田さん(20歳代前半)は、これをソロの曲として取り上げているわけだが、同CDに納められているいくつかの曲を拝聴して吃驚仰天、ハイフェッツオイストラフの再来かと思ったくらいだった。
 納められている曲は「カルメン幻想曲」(サラサーテ)、「序奏とロンド カプリチオーソ」(サンサーンス)という名だたる超難曲と並んで、「メロデイ」(グルック)、ヴォカリーズ(ラフマニノフ)という歌わせるのに大人の風格を必要とする、技術、感性ともに完璧の域に達した才能を必要とする曲ばかりである。そして「アンダンテ カンタービレ」。
 聞き終わって、ただ「参りました」という感想しか出てこないほどに恐れ入ってしまった。硬軟いずれの曲をも見事に弾きこなすさまは、老成した大家に匹敵するほどの器量がある。
 ヴァイオリンの名手というのは、最早日本では珍しい存在ではなく、海外の著名な国際音楽コンクールの並みいる入賞者の演奏を聞けば、その妙技に「吃驚仰天」させられる方々ばかりである。
 しかし、松田さんは少し違った境地にあるように感じられた。「巨匠」といってしまうと、月並みな表現に堕してしまうのだが、20歳代の巨匠という表現が少しもおかしくないように響く。


 松田さんの経歴を見て興味を持ったことがある。師事してきた諸先生たちが、(憶測だが)いずれも国際コンクール熱に浮かされた方のようには見えない、ということである。最早、国際コンクール入賞歴よりも実力本位という時代になった、ということであろうか。
 また、海外留学先として、多くの人が好むであろうニューヨーク、ウイーン、ロンドン、モスクワ等ではなく、ドイツの中都市ニュルンベルクを選んだということ。(是非、その理由を伺ってみたいものだ)。 さらに、現在、師事しているのがウイーンフイルの元コンマスであること。
 彼女の演奏技巧の素晴しさと豊かな「歌」には、多分にウイーン風といった趣きが感じられるのである。(これも半分は憶測であるが)。
 音色で目立つのは低弦(G線)の扱いで、時に絞り出すかのような音色は、「カルメン幻想曲」の曲想に合致してあますところがない。
 G線からそれらしい音色を絞り出すのは、そう簡単なことではなく、まず一発必中で音程を定めるのが難しい。思うに、G線は弾力に富み、ために強く指で押えた時に、一時的に弦が伸張して、音が狂うのである。
 松田さんの低弦は素晴しい。聞けば楽器は貸与されたガダニーニという銘器だそうだが、これをガルネリに持ち替えてみたらどうだろうか、と素人はつい余計なことを考えてしまう。
 弘法(天才)筆を選ばず、という言葉を忘れてしまっていた。


 私は音楽会に行くことなど滅多にないので音楽界の消息にも疎いのだが、著名演奏家のサイトでは、第2位となっている由。その後に五嶋みどり葉加瀬太郎奥村愛などの名前が続いている。
 「20歳代の巨匠」を、人は見逃していない、ということだろう。


<権兵衛の一言>
 年とともに、派手な曲よりも静かでハーモニーの豊かな曲を選ぶようになってくるが、松田さんは例外だ。
 「カルメン幻想曲」の超絶技巧を聞いて気分爽快!、上を向いて歩こう、という気持になってくる。そして「カンタービレ」で心を和ませる。
 音楽は素晴しい。長生きして、名人を上回る超名人に出会えるのは、更に素晴しい。