終末医療/後期高齢者

 終末医療については、事柄の性質上、重大な問題であるにも拘らず、あまり表立っては論議されてこなかった嫌いはあるが、それでも「緩和ケア」「尊厳死」問題など、マスコミにも取り上げられてきた経緯はある。
 それが、今般、後期高齢者問題に絡んで俄に(?)脚光を浴びてきた観があるのは、後期高齢者に終末期での身の振り方を、アンケート形式という冷たい形で問いかけられるようになったことが、明らかになったからであろう。
 「冷たい形」とは申したが、設問はいずれも切実かつ重大な事柄である。これまで医師や患者/家族が密やかに悩んできたことが、白日のもとで論議されるようになったということで、事柄自体は慎重に論議されて何らさし使えないことなのである。


 問題が大きくなったのは、後期高齢者の医療問題が「姥捨て山医療」と関連付けられて論議されているからであろう。いささか感情的なものを含み、論議を混乱
させる怖れもあるが、ここは一歩引いて考えてみる必要があるのではなかろうか。
 事は高齢者に限られることではなく、すべての国民の明日に拘る問題であるからだ。


 年齢の高低に拘らず、終末医療問題はある。余命1ヶ月の24歳の花嫁にも存在したかもしれないし、生後間もない赤ちゃんにだってありうることだ。
 以前からあった「尊厳死」とはどういうことであったのか。
 それは、終末が避けられない患者は、自分の意思で無益の延命治療を望まないことを、文書で周囲に明らかにすることである。
 しかし、法的な拘束力がないために、本人の意向に拘らず、患者家族は治療継続を希望し、医師は医療の手抜きが裁判沙汰になることを怖れて医療を継続する。
 今般のアンケートは、いわば公的に患者の終末医療に対する態度を問うもので、その背後には無益(?)な医療継続での莫大な医療費の抑制を意図する目的があるにせよ、一概に「冷たい」と言い切ることも出来ないような気がする。
 少なくとも「お可哀想に」という情緒論だけで事を処しては、問題の本質を誤るような気がしてならないのである。
 第一、医療を継続することによる患者本人の苦痛をどう考えたらよいのか。これは死に至る拷問にほかならないのではないか。人の尊厳はどこにあるのか。


 重ねて言うが、終末医療は高齢者に限った問題ではない。
 終末が避けられないと分った時、患者本人の意思(尊厳)を尊重することは何にもまして大切なことだ。
<権兵衛の一言>
 今回の医療問題騒動に関連して、終末医療問題が論議される機運となったことは一歩前進かもしれない。
 いま声が高いのは、政局絡み(?)や選挙目前の政治家、評論家、当の後期高齢者、たちだが、患者/家族たち、医療関係者、そして宗教界の人たちからの意見をもっと聞かせて欲しいものだ。