寸感/尺八、人力車、後期高齢者


◇◇ 尺八については「一音成仏」と言われている境地があることを知った。
 一つの音を鳴らすだけで成仏の境地に至る、という尺八の極意らしい。
 尺八は西洋楽器のように、多数の音を操る楽器ではない。なるほど、一つの音だけで、森羅万象-----すべてのことっをそこに網羅して、究極的には悟り/成仏の境地に至る。西洋楽器には及ばない、というか、もともとそういう発想とは別次元の世界である。
 西洋楽器にしても、一音よく人を感動させる境地があるに違いない。チェロの巨匠カザルスは、開放音一つだけでも自分に叶う者はおるまい、と豪語したそうだが、平凡な奏者は、ただ指が回ることだけにしか気が回らないから、音の効果-----「音楽」の真価について悟るところがない。
 一つだけ西洋楽器が東洋楽器に比肩しうるところがあるとすれば、それは深淵なハーモニーの世界であろう。
 しかし、指が回ることしか念頭にない者にとっては、これも無縁の境地なのであろう。
 本当は、楽器奏者にとっての至上命題である音程確保は、ただ優れたハーモニーによってのみ育まれる、と言われてにも拘らず。


◇◇ 小さな感動物語----- ある青年が、名門京都大学卒後、就職した会社も捨てて、人力車を曳いて日本一周の
旅に出るという。それも1年半の歳月をかけて。
 どういう理由や因縁があるのかは分らないが、何となく、訳もなく、感動させられる話である。
 この際、その間の食費/宿泊費、医療費などはどうするのだろう、などという詰まらぬ詮索はしないでおこう。


◇◇ 後期高齢者問題のツボ
 世間では姥捨て山時代来る! と騒がれる一方で、戦後これほど日本復興の為に尽してきたお年寄りを何故いじめるのか! と俄に褒め殺す(?)ような風潮が高まって、当の高齢者たちは自分自身の始末に右往左往という状況。
 保険証が届かない等の問題はあるが、これは事務的に解消すればよい。保険料天引きは一寸悩ましい問題で、天引きがなければ自分で納付に出向かなければならない。そこでうっかり滞納すると窓口負担が10割となりかねぬのが怖い。
 問題は保険料額と医療サービス内容。なるべく安くて手厚いほうがよい-----といっても限度はあろうが、論点の一つである。


 忘れてはならないのは、高福祉高負担の原則。しかし、高齢者には低負担を、という将来展望や国家像があってもおかしくはない。
 いま若年/壮年層には、年寄りを支えるための高負担はご免だ、と風潮がないでもないらしいが、当の年寄りも若い頃から年輩者を支えてきた実績があるのを忘れて貰っては困るし、今の若年/壮年層にしても、明日は必ず我が身(支えて貰う身)という境遇になることを絶対に避けることは出来ない。神様は公平だ。


 ここから本題。
 いまの後期高齢者医療制度を作ったのは小泉政権時代。そこでは消費税(歳入源)は絶対に上げない、ということで(やむをえず?)今の評判の悪い制度が生まれたことを思い出す必要がある。
 つまり税制(歳入)を考えずに医療制度の是非を云々
しても、当初から限界が見え見えなのは当然ということであろう。
 官僚が政治家を差し置いて税制を公に云々することは
まずないだろうし、選挙が怖い政治家が消費税のことを口にするのはタブーに近い。
 究極の問題は歳出/歳入の問題、つまり税制問題に突き当たる。その他の現在騒がれている問題は二の次にすべきことだ。
 国費の無駄使い追求の問題があることは当然だが、決定的な決め手になりにくく、時間もかかりそうなのが難点だ。


<権兵衛の一言>
 つまりは、政治家を選ぶ国民の見識という問題になる。下手に選ぶと、国民総姥捨て山時代となる。ムードや政局絡みで選ぶべきではなかろう。