時事寸感(13)後期高齢者、与謝野馨

 
このたびの山口県の補選での自民党の敗因は、ガソリ
ンよりもむしろ後期高齢者医療の問題であったとも言わ
れている。何が問題なのか。
 もし2 兆円の税収不足が生じ、それを直ちに手当てす
る方策が見付からなければ、被害は地方財政を直撃し、
地方の住民生活を苦しめるからだ。勿論、この住民のな
かには、いまガソリン値下げで喜んでいる人たちも含ま
る。
◇ 「天引き」とか「それが高額過ぎる」等の問題はあ
るが、「原則1割負担」という点の功罪について論じら
れているのを見かけたことがない。
 高齢者医療費は、必ず国の医療費を圧迫するところか
ら問題にされているわけだが、一方では「長寿医療」と
の別名もある。
 後期高齢者は病気になり易いし、罹病すれは必ずと
いっていいくらいに高額の医療費がかかる。これが「1
割負担」ですというのなら、その功罪は従来の健康保険
制度での負担額と比較してから述べて貰うと分り易い。
◇ そうなると、後期高齢者は優遇され過ぎということになるのだろうか。
 ここまでくると、問題は国の形------ 日本はこれまでの日本の繁栄に貢献してきた老人たちをどう殊遇しようとしているのか、という問題になってくる。


 社会福祉、医療、介護、教育、少子化などに配慮するのは優れて国家百年の大計に関わることではあるまいか。
 老人福祉優遇策は、国民が将来に不安なく、あるいは希望を持って働けるということにほかならないのではないのか。国民皆保険という考え方が悪いというのではないが、目先の収支計算や利害にばかりかまけて国の将来像を見誤るという愚を犯してはなるまい。
 これがもし、現在若くて健康な施策当局者の発案に基づくものだとしたら、これは自分だけは絶対に年を取らないし、病気もしない、という------ つまり想像力欠如が齎した貧弱な思考によるものだ。


 ここで考えられるのは、仮に国の将来像を見通せる思考力があったとしても、当面の選挙対応の必要から事の是非から目を逸らしてしまいがちな政治のあり方にも問題があると言わなくてはならない。
 先に触れた政治家/与謝野馨氏は、「今さら人気取りをする必要はない」と達観して、人が触れたがらない消費税 10% を提案している。
 これを当面の生活が圧迫されるから嫌だ、というのか、将来の生活設計を視野に入れた国家像を考えて敢えて受容するのか、がこれからの勝負所だと思われる。
 「受容」というのは、負担が割高でも、公平感があり
、将来展望がある、という意味である。
 しかし、自民党では現在の後期高齢者医療制度を見直す考えはない、としているようだ。
 このままだと、大局感なき医療制度は、今後ますます高齢者への負担増を強制することになる怖れがある。
 その答えは次ぎの総選挙で明らかになるのだろうが、その時はその時ということなのだろうか。
 また、民主党が政権を取るにしても、ツケが弱者に回るような結果になりはしないか、心配である。


 話変わるが、その与謝野氏の著書「堂々たる政治」に興味をひかれた箇所があった。
 それは、英語をよく勉強すれば数学もよく出来るようになった、と述べているところである。
 氏の文章は素人にも平易で分り易く(内容は難しい)、そのまま英文に翻訳出来るような平明さを持っている。(出来そうで出来ないことだ)。
 また、氏は「勉強は独学が基本で、それも難しい本を中途半端にかじるより、易しい本を最初から最後まできちんとマスターするほうがよい」とされている。
 氏は自民党切っての政策通とされているが、その頭脳はこのようにして鍛えられたのであろうか、というところまでは想像出来るが、イザ誰にでも出来るかということろになると、何かヒケてしまうというのが本音である。


<権兵衛の一言>
 「日本のがん医療を問う」(新潮文庫)を見ると、医療先進国である筈の日本で、欧米に比して がんが増加しつつあるという。
 これは、日本が戦術的には優れていても、戦略的には劣っている、あるいは、局地戦には強いが、国家総力戦には弱い、と見るべきなのだろうか。
 いずれにせよ、当事者(被害者)は国民である。山口県民だけの問題ではない。
 

日本のがん医療を問う (新潮文庫)

日本のがん医療を問う (新潮文庫)