アマチュア音楽家の周辺事情(2)

 
 前回は「アマチュア楽家の周辺事情」についての将来展望とも憶測とも推測とも幻想とも、要するに何とも腰の定まらないものを長々と述べてしまった。ご叱正があれば是正したい。
 今回は、あまり気張らずに、印象に残ったことを若干
しるしてみることで、この稿を締めくくることとしたい。


◇ 変調? 吉兆? クラシック音楽
 優れた文筆家であり、ドビュッシー音楽の専門家であるピアニスト青柳いづみこ氏は、その近著「ボクたちクラシックつながり」(文春新書)で、クラシック音楽界に一石を投じた漫画「のだめカンタービレ」を取り上げている。氏はここに(漫画チックに)描かれた音楽青年群像を通じて、クラシック音楽やピアノ音楽についての一種の音楽入門を試みた、と私は思っているのだが、それほどに漫画「のだめカンタービレ」(と、そのテレビ化作品)が及ぼした影響力には無視しえないものがあった。
 噂では、クラシックコンサートの企画に当たっては、「のだめ」が取り上げた曲目が参照されたということだ。
 少なくとも、「のだめ」以来、ベートーヴェン交響曲第7番CDが異常に売れたという事実は、前述のような現象と重ねあわせて考える以外に納得出来る理由がない。(喜ばしいことではある)。
 また、この頃から目立った現象は、クラシック音楽名曲の「さわり」を抜粋して編集しCD化したものの企画が当たったということがある。
 出版の世界でも、古今の名作の「さわり」部分を編集出版してそれが当たるという企画があるが、音楽の世界でもそれが成功するとは------ コロンブスの卵の例としても評判になったことであった。


 何事によらず、一芸に秀でるのは、ある程度の助走期間が必要ではないか、と私は思うのだが、クラシックの世界で「さわり」音楽はどれほどの貢献が出来るものなのか、私は興味を持ってこうした事象を眺めている。(一過性で終わって欲しくないからだ)。
 「のだめ」にしろ「さわりCD」にしろ、それがクラシック音楽の普及に貢献してくれれば何も言うことはないのだ。


◇ 音楽鑑賞は、直接音楽会場に出向いて聞くのが一番、とされてきた。あのカラヤン人気は、その演奏を音楽会場で「目で」聞くことで、いやましに高揚する。
 SP、LP、CD音楽はいわば生気のない凍結した音楽だとするのが通説のようだ。
 しかし、例えば、評論家/天野祐吉氏は、雑音のない完璧な音盤化音楽こそが最高のものだ、音楽会場で聞くものばかりが音楽ではない、といった趣旨のことを主張され、私(まず音楽会場に通うことは絶無)も、それに反対する理由は持ち合わせない。


◇ 特異な例なのかどうかは分らない。
 最近、知ったことだが、あるアマチュアオーケストラでは、公演プログラム(紙)上の団員名簿に、通常は明示されている筈の「パート主席者」の表示が省略されているという。
 言うまでもなく、オーケストラは弦、管などの諸パートの集合体で、それらが指揮棒のもとで一糸乱れず演奏を行うことで感銘深い音楽が聴衆に提供されるわけである。
 「パート主席者」の表示は、単なる名札の列記のようなものではなく、オーケストラが音楽を、組織として責任を持って演奏する団体であることを、内外に明示する意思表示のようなものでもあるのだ。
 これが団員名簿から消えているということはどういうことなのか。偶然でないとしたら、そこに働いている団の意思がどういうものであるのかを知りたいものだと思う。


<権兵衛の一言>
 ケータイの普及により、文学作品を読むのも、それを執筆するのも、音楽を聞くのも、すべてケータイでクリア出来る時代が来ている、という。
 一方で、萬年筆やSP レコードの復権が叫ばれている。
 一体どうなっているんだと問う前に、自分はどうしたいのか、が問われていると知ったら、一寸安閑としていられない気分になるのではなかろうか。
(*)音楽啓蒙書にはいろいろあるが、青島広志氏(ピアニスト、作曲家、企画/演出家)の一書は、甚だ刺激的なものだ。名文家でもある。


作曲家の発想術

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