アマチュア音楽家の周辺事情(1)


 大人の俄音楽愛好家を含めて、アマチュアクラシック音楽熱はいまや日常的かつ普通のこととなった観がある。外国では見受けられない素敵なことだ、と囃す声もある。西洋音楽が開花した明治以降、大国なみになったのは経済だけではなかった。別に西欧なみの音楽国になることが「素敵なこと」のすべてではない、との声もありそうだが。
 年寄りの冷水といった揶揄/好奇の目もなんのその、子供たちに背中を押されて、あるいは子供たち以上に出しゃばってステージに上がるお父さんお母さんたち。そして雑音(失礼)をバラ撒けばバラ撒くほど拍手のボルテージが上がるといった光景は、最早珍しくもなんともなくなった。
 お母さんが子供とヴァイオリン ケースとネギ/大根を入れた買い物籠を自転車に積んで、アマチュアオーケストラの練習場に駆けつける姿も、町の風物詩の一つとなっているようである。


 そのアマチュアオーケストラだが、全国でどれくらいあるのだろうか。一頃、その数を数えることがアマチュア音楽の民度を図る一つの指標となっていたようだが、最近ではその存在が当たり前で、空気のようなものとなってしまった。
 アマチュア楽家も、これまではミニプロを目指すような風情があるやに見えたが、それも空気のように拡散して日常風景の一つとなってしまった(ように思われる)。


 漫画「のだめカンタービレ」現象の影響もあってか、音楽はかくの如く日常化したが、最近なんとはなしに、そのアマチュア音楽のあり方が微妙に変ってきたような感触がある(ように思われないでもない)。
 確かな根拠があるわけではないが、人から啓示を受けたことをも含めて、そのいくつかを述べてみよう。


◇ アマチュア演奏家と聴衆
 オーケストラでも室内楽でも、企画、会場設営、切符販売等は主催者/演奏者側が行い、聴衆側は気に入った企画であれば切符を求め、鑑賞/批評する。これが普通の形だと思われる。
 ところが、アマチュア演奏家/オーケストラ側の層が厚くなるにつれて、少し変った形が現れてきた。
 それは、演奏者側が定期的に日頃の練習の成果を問うというのではなく、恣意的に演奏プログラムを組んで、公開演奏を行う、という形であある。
 例えば、
マーラーの特定の交響曲等を選び、その企画に参加したい演奏者を集めて公演を行う(公演終了後は解散。これを「一発オケ」と称する)。この場合の演奏者は、所謂「報酬付きのエキストラ」ではなく、自ら参加料(数千円〜数万円?)を納めて演奏の機会を得る、という形を取ることがある。
● オペラの場合は、ソリストをアマチュア側が公募し、オーケストラ、合唱団、指揮者、演出、音響、照明、衣装、群衆、広報、経理、等はアマチュアが担当する、などの形を取る。(日頃、クラシックと縁のなかった、広範な市民層が参画出来るのが特徴。クラシック音楽普及のための最良の形の一つだ)。


 こういうスタイルの採用は、形式の変化のみならず、意識の変化をも伴うような気配がある。
 すなわち、演奏側は高いステージの上から音楽を聴衆に与える、というのではなく、自ら手弁当で自分の楽しみを購う、という形となる。また、アマチュア側の裁量でプロを雇い上げる、ということにもなる。
 聴衆も、ただ音楽の楽しみを謹んで与えて頂くという受動的な姿勢から脱して、自らの好み/企画で演奏側を使うという形に近づく。(喩えは悪いかもしれないが、かっての王侯貴族がお抱え楽団を雇用するという形)。
 漫画「のだめカンタービレ」(と、そのテレビ版)が多くの聴衆を動員し、プロ側の企画/運営にまで一定の影響力を及ぼしたということは、どう考えればよいのか。
 これまでの「与える側」と「受容側」との力関係が微妙に変ってきたとは考えられないだろうか。(これが一過性のものかどうかは、なお観察を必要としよう)。


◇ 突出したアマチュア
 アマチュアが自らの企画/運営で演奏会を開く、ということについては、以前、特筆すべき現象を仄聞した。
 アマチュア楽家集団が任意に集まって演奏を楽しむ形が拡大成長して、ある時、べートーヴェンの九つの交響曲を一日通して連続演奏するという壮大な(無謀な?)企画を実現させてしまったのである。
 企画はネットで公表して参加希望演奏者を募り、当日楽譜を配布して即席リハーサル、そしてぶっつけ本番。
 指揮者、合唱、ソロを含めて全員アマチュアであったというのがウリである。(演奏成果については言わぬが華だろう)。
 こうした試みは、ブラームスの全交響曲についても行われたと聞いている。


◇ 初心者育成の新視点
 もう一つ、ついでながら申しあげてみると(ついでだから「軽い」という意味ではない)、このアマチュア集団には、弦楽器初心者向けのオーケストラの集まりがあって、それこそ楽器を買ったばかりの人でも参加出来る仕組みとなっていた。
 曲は結構難しいもので(アイネクライネ、交響曲第40
番、カバレリア ルステイカーナ間奏曲など)、当然初心者に弾けるわけがないが、ここでは初心者集団をベテラン奏者が取り囲む形でサポートし(ベテランが従の形!)、演奏を楽しめる雰囲気を実現させていた。
 普通、アマチュアオーケストラというと、入団試験の存否は別として、新参者は最後列に追いやられ、変な音を出すと睨まれのが常である。(楽器を買ったばかりの人が参加出来るわけがない)。
 腕自慢の天狗が跋扈しているなかで新参者は練習を楽しむどころではなく、自然に消えていくという運命を辿る人が少なくない。
 そんななか、上記のような形で、初心者が変に萎縮することなく、次元の高い音楽演奏が楽しめる、というのはアマチュアならではの素晴らしい発想の実現と言えるだろう(残念ながら、現在はやっていないらしい)。


<権兵衛の一言>
 クラシック音楽の普及育成ということは声を大にして叫ばれている。ところが、クラシックを実質的に支えてるアマチュア層については、殆ど日が当たることはない(ように見受けられて仕方がない)。
 
 

アマチュアの領分

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