未来に縛られずに生きられる?

 先のコメント「過去を持てる幸せ」で、ある方から厳しいお叱りを戴いた。
 その方には闘病中の家族がいて、「過去を持てる幸せ」とは、家族を亡くしても、すぐに幸せな思い出に変わるよ、という意味であれば決して許せないぞ----- という趣旨のものであった。
 私の筆不足ということであれば、お詫びする以外にないが、実は、それだけでは何とも御説明出来ないものがあるのだ。
 私も肉親を亡くしてやっと半年弱、いろいろに気持は移り変わるが、そんなことを申しても何の足しにもならないだろう。自分で大悟する以外にない、という答えも何か空しく響く場合がある。


 私のせめてものお答えは、私が生涯で最も衝撃----- この言葉もやや軽いが、最も影響を蒙った一書を御紹介して、責を果たす以外にないのではないか、と考える次第。
 その書とは「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」(頼藤和寛、文春新書)。
 所謂「闘病記」ではなく「耐病記」である点に御留意ありたい。
 著者によれば、従来の闘病記にはおよそ2種類あり、いずれもなんとはなしの不満があるとされる。
 一つは、ガンと戦って克服したというサクセスストーリー。もう一つは、確たる根拠もなしに標準治療以外の療法を慫慂するもの。
 私の感想としては、これら以外に、作家/岸本葉子氏が説かれる闘病後に退院から始まる日常生活擧げての戦い、そして、頼藤氏が渾身の思いを込めて書かれた本書の世界、ということになる。


 私の力では、とてもそのすべてをお伝えすることは出来ない。どうぞ本書をお読み下さい、という以外にないのだが、少しばかり付け加えることが許されるのなら、ここから先は、作家/田辺聖子氏の言葉をお借りすることをお許し願わなくてはならない(「本」(書評誌、文春)2001年5月号。「死」を「思う」書)。
◇ (頼藤氏によれば)未来に束縛されずに生きることが出来る身分になっていたことに気付く。
◇ どんな些細なものごとにも深い意味が宿っており、また一方で、世界中が大騒ぎすることでも距離を置いて眺めれば大したことはない。
 これは達観したのではなく、自分にとってどちらも違いがなくなっただけのことだ。
◇ (私の摘記が誤っていないことを望むばかりだが)田辺氏は、このように締めくくる。
 ------ 強靭な精神力である。
 凡愚安逸の日常に、精神的飛躍を示唆する貴重な一書である。


<権兵衛の一言>
 私には本書の「はしがき」「あとがき」だけで万巻の書に値する。 本書の中核部分は所謂「闘病」相当部分だが、「闘病」は人それぞれに千差万別であるから、私には「耐病」に相当する部分のほうが貴重である。
 願わくが、「過去の幸せ」を大切にする人にも、「未来」に思いを託す人にとっても、本書が実り多いものを齎してくれることを祈りたい。
 田辺氏によれば、著者は新聞紙上での人生相談の名回答者だったということだ。本書は著者自らへの回答だったのだろうか。心が痛む。
 著者が本書に引用されていた一句。
 ------ 「人生は本当は希望なしでも可能なのである」(S・ブラックモア)。

わたし、ガンです ある精神科医の耐病記 (文春新書)

わたし、ガンです ある精神科医の耐病記 (文春新書)