時事寸感(12)議員日当制、2大政党制、日銀総裁

◇ 議員日当制の可否
 ほかならぬ日本の、ある自治体で日当制で議員報酬
を手当するというところが現れたという。議員になってしまえば生活は歳費で丸抱え、とかくの政務調査費、海外視察費の支給対象にもなれる、といった慣習に風穴が空くことになる。議員が報酬を受けるのは当然だが、費用対効果の面で市民の監視の目が届き難いところが、かねてから問題とされてきたわけである。


 「ほかならぬ日本の〜」と書いたのは、海外では日当制とはいわないまでも、議会/行政活動に費用対効果原理が活かされている局面が少なくないような感じがあるからである。
 私がアメリカ(ずっと昔の話だが)で見聞したのは、例えば、議員数が日本と比べて非常に少ないこと、ボランテイアのように、歳費 1 ドル(!)といった薄謝で、しかも、その薄謝こそが当人の社会的名誉を代弁するような高いポストが用意されていること、それから、これが参考になると思われるのだが、役所が「市 支配人」という政党色のない、市長なみの権限を持つ高級ポストを用意して、市内外から行政スペシャリストを雇用する制度が普通に行われていたことだ。


 議員日当制の導入については、様々な理由があることと思われるが、これが議会/行政改革の一つの狼煙となってくれれば幸いなことである。
 ただ、日当制となると、きっちりと仕事をした分だけ支払われる、という面では明朗だが、報酬が全体に激減するので、議員のなり手が少なくなる、といった懸念を聞くことがあるのは残念なことだ。


◇ 2大政党制はいま?
 自民党に比肩する民主党の出現で、日本にもいよいよ2大政党制時代が到来した、と歓迎する向きがあるのは当然かもしれない。
 しかし、支持政党を持たない市民層が、いまだに多数存在するのは 2大政党制未だしという感じを招きかねないでもない。
 それにもまして、現在の自民党民主党のあり方は、大方のイメージする2大政党制の望ましい姿と言えるのだろうか。
 まず衆院があって、それを政党の利害から一歩抜けた良識の見地からチエックする参院の存在がある----- こうしたイメージと、現在、政局まがいの政争を繰り広げている衆参両院の現状は、悪くすると2大政党制への疑念/否定の空気を招きかねない。


 衆参両院の「ねじれ」は確かに政治を庶民に近づけた面があった。しかし、それが適切に機能するには、衆参あげて政局化するという現状をクリアして、望ましい方向に導いてくれる何らかの原理が必要であるように思われる。しかし、それが何であるのか、私には分からない。


日銀総裁問題の背後には?
 財政・金融分離の原則からして、財務省の息のかかった人物は日銀総裁にはふさわしくない、という民主党の主張にも拘らず、自民党は財務筋に拘って、とうとう総裁ポストは空席となった。
 福田首相無為無策を責める声は大きい。
 空席では国際的にしめしがつかない、大問題だ、という声の一方で、たいしたことはないよ、という意見もあり、素人にはさっぱり分からないことが多い。


 しかし、この勝負は自民党の勝ちだ、とする町の陰の声がある。
 自民党はワザと財務筋に拘って民主党に負け、その実、財務官僚と民主党との離反を謀って、将来の民主党政権の存立を危うくする戦略なのだ、というのである。


 うそかかことか、こういう高等戦術(戦略か)は、私の考え及ぶところではない。
 世の中には、いろいろなことを考えつく人がいるものだな、と感嘆させられるばかりである。


<権兵衛の一言>
 アメリカの「市 支配人制度」は、言われて久しいものがある。議員日当制を機に、研究してみたらよいと思われるのだが、どこか日本の風土になじみにくい何かがあるのかもしれない。
 せめて、どこが日本の風土になじまないのか----- あたりを探ってみるのも有益なことではないのだろうか。
 いってみれば、派遣社員を社長に迎える、といった感じになるのかもしれないが。