迷走する萬年筆

 先日、NHKテレビでで萬年筆の特集があった。そのなかで印象深かったのは、次ぎの二つのコンセプトだった。


 美しくなければ萬年筆ではない
 書き味がよくなければ萬年筆ではない


 前者に注目すれば、そこから収集癖が生じるような感じがある。1万本を集めたという愛好家が紹介されていたが、それだけの萬年筆のそれぞれの書き味を試すのには生涯を費やしてしまうかもしれない。
 萬年筆の美しさを加増させたのは、軸の材料として色彩豊かなセルロイドの開発が貢献したことについては異論はない。殊に洗練されたスポーツカーを生んだイタリア製の萬年筆は、所持したことはないが、是非手にしてみたい1本である。
 セルロイドに加えて、萬年筆の美感を国際的にも高めたのは、日本の蒔絵だとされる。こうなると、美しいというよりも芸術品の域に入ってくる。私には手が届かない。


 私は美しさということに関しては、以前のことになるが、一頃、パーカー45 の流麗な姿格好に心惹かれて、気がついたら十数本を集めていたことがあった。
 しかし、書き味ということになると、パーカー45 は横文字にはよくても、縦書きの日本文字では精彩を欠くように思われた。見た目というよりも、日本文字を縦書きする時の感触がどうにもバタ臭いのである。平板といってもよいが、パーカー45 は欧米人のために開発されたものであるから、そこに日本人向きの感触を求めるのが無理であることは分かっている。


 外国産萬年筆ということで有名なのは、何といっても作家が愛用するとされる、太軸のモンブラン149 であろうか。
 軸が太いのは執筆に必要なインクが大量に保持されるということであろうが、そのほかに、長時間持っていても疲れない、とされていた。これも作家向きの美質ということになろうか。
 しかし、そんなことに幻惑されてモンブラン149 を所有してみたところで、直ちに名作が誕生するわけもない(それに、高価でもある)。
 その書き味については、まだ経験したことがないが、金ペンの様子から察するに、日本文字にも適しているような感じがある。日本人作家が愛用する所以であろう。


 私の知人に、ワープロは使わず、必ず萬年筆で美麗な便箋にしたためた手紙を寄越すのを常としている人がいる。その文字は、如何にも書き味のいいペンで書かれたという風情で、しかも、難しい文字もどうやら辞書の世話にもならずにスラスラと書いているらしい。まことに見上げたものである。当然に内容も素晴らしい。
 もう一人の萬年筆/手紙派の人は、萬年筆趣味仲間の人たちに、希望があれば喜んで「萬年筆で手書きにした手紙を差し上げます」と触れ回っていて、私も酔狂だから試みに所望してみたところ、その「手紙」を送ってきた。口上通りの手紙であったのは間違いないが、その内容は「今日は」程度のもの。萬年筆愛好家にはこういう微笑ましい人物も存在しているのである。


 私は弱視のせいもあり、ワープロに頼っていて、手紙を書くことは少ないが、収集癖に陥らない程度に素敵な萬年筆は欲しいものだ。
 前述のパーカー45 は別として、これまでに手にしたものは、シェーファーモンブランの細身のもの、アメヨコで求めたペリカン500 とペリスケ、それから日本人なら国産品を、ということで求めたパイロット カスタム。
 結局、いま手元で愛用しているのはペリカン500 とパイロット カスタムの2本。縦書き手紙用には中太のパイロット カスタム、そして太字のペリカン500 は、手紙の宛名書きと備忘用のメモ書きに使うことが多い。メモは忘れないためのものであるから、そこに書かれる文字は太字でなければならない、という理屈である。


 ここからは余談の部類となるが、萬年筆が2本揃ったところで、次ぎはそれらが活躍する舞台としての机が問題となる。
 いまの机は、ワープロ(マックG4 )が載っていると狭くて何とも使いにくい。発想も貧しくなる。
 私の夢は、広い書斎に大きな机を二つ並べ、一つは仕事用に、他は趣味用に用いることである。ある作曲家は、八つの机を並べ、その間をぐるぐると回りながら、平行っして八つの作曲をこなしたという話がある。
 私にとって悩ましいのは、2本の萬年筆を、どちらの机に転がしておくのが実用面で、あるいは、室内の美観の面で有用であるか、という点である。
 しかし、机二つとなると狭い家をリフォームしなくてはならない----- というところで私の楽しい夢は終わってしまうのだが、せめて萬年筆にアクセサリーとして似合うだけのオーデイオとか壁の絵画が欲しい。
 だが、 萬年筆を使う時には音楽は邪魔になるから、オーデイオのことはあまり考えなくてよい。(音楽を聞くには、カセットテープに入れたものを小さいレコーダ−で寝床で楽しむのが最高。耳に押し付けて聞くと、弦楽器の弓の摩擦音とか作曲家の息使いまでも響いてくるようだ)。
 性格の異なる萬年筆2本に合わせて(あまり意味はないが)絵画2点を選ぶとすると、手書き作業を見守って貰うという観点から、前田青邨と岩崎ちひろ にしてみようか。
 日本画の逸材 前田青邨は、抜群のデッサン力と優れた色彩感で何か私を鼓舞してくれるようである。
 その対極にある存在として岩崎 ちひろ を選んでも、そうおかしくもあるまい。


<権兵衛の一言>
 萬年筆を手にすると、自在に筆が走る、という境地が理想である。しかし、上記のような文章では「迷走」というに近い。
 ご覧のように、尻切れトンボで終わっているが、お赦しあれ。
 萬年筆に潜む一種の魔性のせいである。

前田青邨 (新潮日本美術文庫)

前田青邨 (新潮日本美術文庫)