神様でも癒せない? 柳田氏は?

 こんな話がる。
  ----- 神様が、人間たちの悲しみを憐れみ、すべての悲しみを平均して人びとに分ち与えようとした。すると人は、自分の悲しみだけを抱きかかえて逃げ散ってしまった、というのである。
  ある人も似たような話をしてくれた。肉親が亡くなって心の重しが僅かでも取れたような思いがある今、  知人が癌にかかったと聞いても(なんという不誠実か)自分の身内でなくてよかった、と密かに安堵する心の動きがあるのを否定することが出来ないでいるのである。
  さらに自分の闘病体験を、その知人に伝えたくても、ひょっとして、それが知人の悲しみを加重してしまうのではないか、という怖れを消し去ることが出来ない。


 事故対策や闘病問題等で優れた実績を持つ評論家 柳田邦男氏の素晴らしい論考「壊れる日本人」(新潮文庫)が出た。壊れる とは、日本に蔓延するケータイ・ネット依存症への警鐘なのだが、この本のもう一つの画期的(と思われる)特色は、医療に対知る新たな視点の発掘である。
 医療は近代的な西洋医学の立場に立って行われ、立派な実績を擧げてきた。未解決の分野/問題についても、科学的な見地から研究/実験が行われている。そこに東洋医学----漢方のような手法が取り入れられるとしても、科学的な検証が裏打ちされているのが前提と考えられる。(検証不能なものが所謂 民間療法。しかし、絶対に効能がないということも検証不能)。
 この西洋医学的医療の行き着いた一つの姿が、医師が、これまでなじまれてきた触診を省略し、患者の顔よりもパソコン画面だけを凝視して診断を下したり、あるいは、癌告知を患者yの心を無視して、機械的に行ってしまう、というありようなのである(勿論、すべてがそうだという訳ではない)。


 柳田氏はここに素朴、あるいは根源的な疑問を呈し、白か黒かという二者択一的な西洋流の手法に対し、日本的手法----- つまり、白黒の中間に存する灰色のグレーゾーンの大切さを主張する。
 これは、従来の医療現場のあり方に反省の一石を投ずる貴重な提言と考えられるのである。


 柳田氏は、医師と患者の関わり方について、従来の医学部教育カリキュラムのなかでは殆ど教えられてはこなかった、と指摘している。
 柳田氏は更に、白黒論理の背景には、信者が異教徒を峻別する宗教の問題があるとも言われている。


<権兵衛の一言>
 肉親を病気で失ったあと、家族には、ああすればよかった、こうしたのはいけなかったのでは、というような癒し難い苦しみや悔いが必ず残り、長く痕を曳く。
 柳田氏の論考がどういう形で癒し、あるいは、今後の医療の改善に役立つのかは、俄には判断しかねるのだが。
 
 

壊れる日本人―ケータイ・ネット依存症への告別 (新潮文庫)

壊れる日本人―ケータイ・ネット依存症への告別 (新潮文庫)