好漢 石田三成(その2)

 小身の大名ながら天下の家康を向うにまわして、天下分け目の決戦を挑み、破れたりとはいえ歴史に名を残した石田三成。心に大義を抱きながら敗残の運命を迎えたのは、その人柄によるところも多いと思われる。
 同じように孤高の志を持ち、歴史の流れのなかに消えていったのは、信長を日本の国王になろうとする野望を持つ男と見て、彼を本能寺に討ち果たした明智光秀である。
 光秀については、死後に彼を祀る寺院が残されているところが面白い。三成にはそういう場はあるのだろうか。
 関ヶ原で、もし三成が勝利していたらどうなっていたか。歴史に「もし〜」は許されない、というのは歴史学者の科白で私には関係がないから、自由に妄想を働かせる楽しさは確保しておきたいものだ。


 光秀には話題が多い。それは、彼は信長の死後、秀吉に攻め滅ぼされたのではなく、生き残って徳川世代にまで陰の政略家として影響を及ぼした、とする説があるのだ。
 嘘か誠か、徳川将軍には「光秀」の名前を承けた「秀忠」「家光」なる人物がいる。
 こういう好奇心をくすぐる話題に関連して連想されるのは、源頼朝に追われた義経が、いずこからか蒙古大陸に渡り、そこで蒙古帝国の覇者ジンギス汗となった、という伝説である。


<権兵衛の一言>
 もう一人の孤高の士、河井継之助。この人物は明治新政府が樹立された後も、中央政府に吸収支配されることを拒否し、各藩の自立/連合による日本国の存立を主張、そのために政府軍の攻撃を受けて滅びた越後長岡藩の家老である。
 この特異な人物を描いた小説に「峠」がある。「関ヶ原」と同じく司馬遼太郎作の上中下3巻の大作。河井がどういう世界観、自治政策、性向を持った人物として示されるかにも興味があるが、早くから当時の日本に3台しかなかった最新鋭機関砲のうちの2台までも藩に備え、政府軍と如何に戦ったかを知るのにも関心がある。
 これから読み始めるところだ。

峠(上) (新潮文庫)

峠(上) (新潮文庫)