「告知」以前の大問題


 経済小説等で健筆をふるった作家・城山三郎氏の遺稿がこのほど発刊された。愛妻との邂逅と死別の顛末を綴った「そうか、もう君はいないのか」。
 この題名だけで、すべてが物語られている。悲しいとか絶望とか言うだけのものではなくて、この題名が意味する永遠絶対の「不在」「喪失」感に、人は容易に耐えることが出来ないのだ。
 しかし、作家・城山氏にして、この主題で文章を綴るには、事柄はあまりに深く大き過ぎたようだ。氏自身が「妻を描く、って難しいね」と述懐されていたという。
 特に夫人の病状については言葉が少なく、つまりは書くに忍びなかったのであろう、と拝察するが、しかし、紛れもなく特に声を大にして書かれたであろう部分がある。
 ----- それは、診療に当たった医師に関するくだりである。
 医師は、夫人が処方箋について質問すると、大声をあげて「医者に教える気か!」と怒鳴ったという。
 さらに、夫人の肝臓は「フォアグラだな、アハハ」と笑い飛ばし、それ以上の説明がなくて、みすみす病状の悪化を黙過してしまったようだ、とされていた。
 その医師には、いまも恨みが残る----- とも城山氏は述べている。


 病気の解説書を読むと、肝硬変が進むと、確かに「フォアグラ」状になるのだという。その写真もあるが、正視に耐えられるものではない。
 不謹慎な例えで申し訳ないが、フォアグラというと、ガチョウに強制的に餌を詰め込んで、肝臓の大部分を脂肪肝状態にさせ、しかも、肝臓全部を脂肪肝にして死に至らしめないように管理する----- という残酷物語を思い出さざるをえない。
 夫人を笑いものにした医者とは、どういう人物なのか。


 夫人が死去された2000年頃は、まだ「告知」が一般的ではなかった時代だったのかもしれない。必要に迫られて「告知」せざるをえなかった医師の心中は、さぞ苦渋に満ちたものであったことであろう。
 それを「告知」問題をよそにして笑い飛ばすとは、一体どういう神経なのであろうか。
 いまの若い医師のなかには、まるで学校の成績通知のように、何の心の痛みもなくごく事務的に告知してしまう人もいる。(そうすることで心の痛みを免れた、という感慨もないようだ)。
 これも問題かとは思うが、人の不幸を「笑う」というのは、「告知」以前の人間性の問題でもあろう。
 医術が「予防医療」の分野にまで及んできたのは喜ばしいことであるが、さらに医師 対 患者/家族の精神面にまで及んで欲しい、と切に希望せざるをえない。


<権兵衛の一言>
 次女・紀子氏によると、城山氏は夫人の逝去後、半身を削がれたまま生きていた、とされ、最近、夫人のあとを追われた。
 いまさら求めても詮無いことであるが、城山氏には、経済小説等で見せた鮮やかな切り口、資料収集力、洞察力、筆力で、医療問題にもメスを入れて頂きたかった。