時事寸感(3)福田総裁誕生 ほか


● 福田総裁/総理の誕生が華やかに伝えられるなか、首相官邸を静かに去る安倍氏の姿が写し出されていた。
 志半ばで病気のために心ならずも政権を去らなければならなくなった安倍氏の心情を思うと、深く心をよぎるものがある。私は安倍氏が好きだった。
 安倍氏は記者会見で、自らの退陣が病気のせいであることを明らかにした。これに対する世評は様々で、「みっともない」という前提のもとに、(病気への同情を示しつつも)何故参院選挙後に退陣しなかったのか、代表質問直前に辞任するとは無責任極まる、側近たちはどうして辞任を薦めなかったのか-----など、相変わらずの厳しい批判が続いている。死者に鞭打つという格好である。


 私はこうした見方は取りたくない。
 上記のような意見は、病気の怖さを知らない人(幸いなるかな)の想像力を欠く意見に過ぎない、というのが私の意見である。
 病気の進行は、参院選挙、国会開催等の時期に合わせてくれるものではない。安倍氏が体力の限界を感じつつも、最後まで所志貫徹を志すのは当然であり、「最後まで」というのが参院選挙、国会開催等の時期に符合したからといって、誰が安倍氏を非難することが出来ようか。
 非難するのは、これまで大病の怖さを体験してこなかった、つまり、人生の深淵を覗いたことのない、ある意味では幸福な人たちばかりであろう。


 安倍氏は病室から、様々な政変ドラマを通じて「人生の深淵」を(クーデタ説を含めて)かいま覗いたことであろう。
 この経験が安倍氏の今後のかけがえのない豊かな経験となるように祈るばかりである。
● 早くから安倍氏の病気に言及し、擁護する姿勢を示していたのは与謝野官房長官であった。(長官は癌手術という「人生の深淵」を覗いた体験者である)。
 福田内閣の誕生とともに、長官の地位を去ることになったが、私は心から残念に思うとともに、もう少し在任して、その非凡な手腕を発揮してもらいたかったと思う。
 氏はあまり目立つ存在ではないか、小泉前総理が、病気でなかったら、私の地位を脅かすほどの存在となっていたであろう、と怖れた人物であるという。
 今回の辞任を機に、ゆっくり静養して再起を期して欲しい、と思うこと切である。
● 福田政権についての評価が賑やかである。
 派閥はなくなったという世論の一方で、マスコミ等は派閥一辺倒、古い自民党回帰、などと声高に批判する。 
 かと思えば、派閥領袖をずらりと並べた重厚、安定型の布陣、と持ち上げる。一体、どちらが本当なのだろうか。


 国民にとっては、そんな瑣末ま議論よりも、いい仕事をしてくれるかどうかが問題である筈なのだが、新聞等では、またまた例の如く、政権叩きが始まっている。
 批判/評価は暫く政権運用の実績を見なければ分からない筈なのに、もう「叩いて」いる。これから国民の為に汗を流そうという政権を叩いて、どうしようというのだろうか。


 しかし、叩くなと言っても無理な話。暫く実績を見よう、などと言ったら、マスコミの仕事のネタがなくなってしまう。
 政府のほうもそこは充分承知で、叩かれて困ったフリをしながら、やることはちゃんとやるのだろう。
 福田内閣とはそんな政権なのだろう。
● このたびの政変について、様々な評論家/ コメンテーターの意見が飛び交い、大変勉強になった。
 しかし、なかには理解を超えるものもある。
 福田/麻生両氏が、これからは地方重視の政策を打つ出さなくてはならない、と述べたところ、ある人が早速
噛み付いて、「じゃあ、都市部はどうなるのか。冗談ではない!」と。
 こうした論議で困るのは、この人の主張がどれほどの根拠に基づくものなのか、短いコメントのなかでは明らかにならないことだ。
 福田/麻生両氏は「都市部はどうなってもよい」などと一言も述べていないのに「ある人」は都市部切り捨てと勝手に思い込んで評論をぶつ。


 ネット内の論議でも似たようなものがあった。
 ある人が「小異を捨てて大同につかなくてはならない」と、極めて常識的なことを述べると、相手は「それでも小異が残っているではないか、それをどうするのだ」と攻撃する。
 これではまともな論議にはなる筈がない。
● ネットを去っていった人から、こんな話を聞いた。
 ネットを詰らないと感じ、止めることとなった理由は:
◇ 検索は便利で助かるが、自分で苦労して調べる知的探求心が衰える。
◇ ネットは「対話型」の世界だと期待していたが、事実を日記風にとうとうと述べる人はいても、そこに新しい知見とか発想を盛り込める人は少ない。読んでいる新聞の意見をなぞるだけの人もいる。
 これでは実りある対話が実現する筈もない。
(う〜ん、頭が痛いなあ)。
● 新しい政権にちょっぴり期待出来そうなこと。
 それは医療費軽減問題だ。いろいろな話を聞いていると、入院して暫くたつと、病院側が採算の都合上(?)、退院を求めることが少なくないという。難病で治療の方策が尽きた時も同じ。
 医は仁術ではなくて算術なのか。「在宅医療推進」という言葉には要注意だ。「共生」よりも「自立」を先に求められては、困ってしまう庶民は少なくないだろう。


<権兵衛の一言>
 与謝野(前)官房長官は、文藝春秋10月号に「ガン闘病と温かい改革」という一文を寄稿している。是非読んでみたいものだ。