時事寸感/安倍首相辞任 ほか

◇ 安倍首相辞任の衝撃がやや鎮静化してくると、少し事情が見えてきたような気がする。当初、政権放り投げ、敵前逃亡などとも酷評されていたことも、病気がその一因だったことが明らかになると、流石に鳴りを潜めたようだ。
 政治空白を招いた責任については、いまも厳しい批判があるのは当然かもしれないが、「放り投げ」と見られる事態も、最後の最後まで職責を全うしようとした姿勢と解すれば、そこに「武士の情け」が及ぶ面があってもおかしくない。
 政界やマスコミには、健康でなければ勤まらない事情があるのだろうが、そこには病身の者に対する配慮(想像力)が欠けることがあるのはやむをえない。
 私が聞いた限りでは、首相の健康面に留意した発言を
したのは、与謝野官房長官一人であった。
 長官自身も大病を克服して政界復帰した身であるため、「放り投げ」「敵前逃亡」などの心ない批判には耐えがたいものを感じたせいでもあろうか、と推測している。
 これは、病気を経験したことのない人には、決して考え及ばない事態ではなかろうか。
◇ 次期自民党総裁候補者としての福田・麻生両氏の論戦には、予期以上の期待(人気)が集まっているようで、民主党もやや緊張して様子を見守っている状況
ではなかろうか。
 マスコミは次の内閣閣僚が決まったら、また政治資金問題やスキャンダル等のネタ探しに狂奔することになるのだろうか。


 この短期間の間に、自民党支持率やテロ特措法賛成の割合が増えつつあるようだ。(「民意」とは何だろうか?)。
 しかし、自民党が力を得たとしても、両院のねじれ現象には変わりはない。
 テレビ/新聞等では、両候補の「派閥」との関係、政策の微妙な違い等につて、熱い議論が交わされているようであるが、本当の勘所は、国会論戦相手の民主党との
相違/長短を明らかにすることではなかろうか。
 そこのところを、力を入れて聞きたいと思っているのだが。
自民党の杉村議員(小泉チルドレン)は、自民党が派閥単位で動くことを批判して独自行動を取ることになったようだ。
 その持論には異論はないが、政策実現には内容が優れていることのほかに、「力」つまり「数」が必要だ。
 杉村議員の持論や政策に呼応して同士が集まってきた場合、それを「政策研究グループ」と称するにはいいが、他から「派閥」じゃないか、と言われた時はどうするか。
◇ (政局問題とは違うが)評論家/鳥越俊太郎氏が、肺への癌転移と切除手術をテレビで公表された。御自身の体験を世の健康問題への関心を高めるよすがとされようとしたのだろう。
 私は深く共鳴するところはあるのだが、「公表」という形にやや思うところがある。
 詳説は自粛するが、世人は自分自身の問題として降り掛かってくるまでは、決して問題の深さを自覚出来ないのではないか、と感じている。(前記の与謝野長官の例に同じ)。
 そうなった場合、「何故自分だけがこんな酷い目に---」と天を恨むことが多いようだが、自分が健康な場合は、他の災難には気付かなかっただけのことだ。
 悲しいことだが、天は公平だ。


<権兵衛の一言>
 あと何年かすると、安倍内閣が何故辞任に」追いこまれたか(病気のことは別として)、歴史家は考察に困ることになりはしないか。
 これからは、安倍内閣が僅か1年の間に成就した仕事を、公正に評価する作業が始まることだろう。