大人の英語学習/寸感(5)

 産経の記事(07.8.20)を見て、やっぱりそうか、
と妙に納得させられるところがあった。
 記事は「英語は重要 でも何もせず」。
 ビジネスマンやOLは、自分の考えを相手に伝える「発信型英語力」が重要と考えていながら、その一方で何もしていない人が 65% 強であるという。
 大地震がいずれ来ると分かっていながら何の対策も講じていない人が少なくないというが、英語が重要と感じていながら何もしない、というのは、人の怠慢というよりはむしろ人間らしくて、むしろ同病相哀れむといった気持にもなってしまう。


 英語は重要、そんなことは誰にでも分かっている。それでいて何もしないで生きていけるのは、一重に英語が日常生活で必要でないこと、わが日本国は生活も教育も殆どすべてが英語のお世話にならずに過せることの証左であって、まことに目出度いことということのように思われる。


 しかし、いざ外国に放り出されるとことなったらどうするか。
 仕方がない。その時は観念してしっかり汗を出して苦労すればよいのである。学識者のなかには、中学英語の基礎さえあれば、大学で必要に応じて学習すれば立派に間に合って、しかもお釣りまで来ると言っている人までいる。
 しかし、海外で苦労した人の多くは、帰国したら英語を一からやり直そうと考えるらしいが、しかし、やはり「何もしない人」に戻ってしまうのは、あながち責められることではない。


 ビジネスマンやOLの答えで微笑ましかったのは、英語に対応するには「英語の話せる友人や恋人を作る」というのが 9% あったことである。
 そんなに都合よく事が運ぶのかな? しかし、英会話学校に行く、というのが 4% に留まったのは、よく分かっているというのか、それとも諦めて達観しているのか。


 この記事で改めてよく分かったのは、日本人の英語下手は「学ぶ必要がないくらいに日本は日本語で平和に暮らせる」ということで、これは諸外国には少ない日本の長所であるかもしれない。
 しかし、そんなことでは、いつまでも日本人は国際人になれない、と心配する人、あるいは実際に英語で困っている人は、英語を勉強すればよいのである。
 苦あれば楽あり。


<権兵衛の一言>
 英語学習の啓蒙書は沢山あるが、一冊を擧げてみれば、
 山田雄一郎「英語教育はなぜ間違うのか」

英語教育はなぜ間違うのか (ちくま新書)

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