音楽閑話(5)/ピアノの曲

 私は弦楽器(ヴァイオリン、チェロ)しか経験がないので、ピアノについては興味はあるが無知にひとしい。(ピアノ学習は、ピアノのある家庭に生まれ合わせなくれば無理なような気がするが、偏見であろうか。大人になってからの学習は別だが)。
 管楽器は別格として、弦族とピアノ族についてみると、お互いにどうも関心がないように思われてならない。音楽全般についての興味の持ち方もセンスも、少し違うようだ。(思考回路が、構造的、情緒的に異なる、という説もある)。


 弦楽器は自分で調弦出来るのが普通で、またそうでなければいろいろと不都合が起こるが、ピアノはまず専門の調律師を依頼することになる。演奏者が自分の好み通りに調律を指示することも少なくないが、調律が仕上がった時点で調子が合わなくなっている、というのがピアノの宿命だ。
 というのは、ピアノの特性上(表現は悪いが)騙し騙し全体の調子を合わせざるをえない仕組みとなっている、というのが実態らしいのである。
 人によっては、高音部は少し高めに、低音部は少し低めになっているのがよい、と言われたりするが、その逆もありうるのかもしれない。


 しかし、自分で弾くだけならこれでいいが、人と合奏する時に問題が起きることがある。弦や管の音程感覚はピアニストと異なることがあるからだ。
 ピアノ入り室内楽の時は、弦楽器がピアノに合わせて調弦するからまだしも、ピアノ協奏曲の場合は、オーケストラはオーボエに合わせて調子合わせをしてしまう。もちろん、事前にいろいろと手当はしているのだろうが、一寸気にならないでもない。
 室内楽だと、ポイントの A の音だけは合っている筈だが、残余の音は手つかずのままだ。おまけに、弦には自分の好みの音程感というものがあるから、合奏中にしばしば弦奏者は違和感に悩まされることとなるが、最早どうしようもない、というのが現実である。


 余談だが、楽器は演奏ホールとの相性も大切である。
 ピアニストの巨匠ポリーニが、舞台上でピアノを置く位置を微調整している場面を見たことがある。
 付き人に命じて、ピアノを前後左右に僅かずつ移動させ、ピアニストにラフマニノフ/ピアノ協奏曲の遅い情緒的な部分、それから軍隊ポロネーズの動的な部分------
この2種類の対照的な音楽を弾かせながら、自分は広いホール内のあちこちを歩きまわりながら、ピアノの響き具合を確かめるのである。この作業はおよそ30分くらいも続いたであろうか。ピアノの位置は、結局最初とそうは変わらなかったように思われたが。


 さて、演奏の話になるが、私にはピアニストの左右の手が別々の動きをするのが不思議でならない。よく混乱しないものだ、と尊敬してしまう。
 話によると、必要によって左手・右手と別々に練習すると、二通りの曲想を持つ音楽が生まれてしまうので、両手の合奏?による練習を新たに加えなくてはならないのだそうだ。しかし、最初から両手による音楽を創造するのも、人により得手・不得手があるというが、そんなものかもしれない(よく分からない)。
 弦楽器も両手は別々の動きをするが、出てくる音は一つである。両手にはそれぞれ別個の役割が与えられているので、別個に練習が必要な場合がある。ピアノとは異なる、と言っていいのかもしれない。


 楽譜だが、弦楽器は(原則として)音符が単純に横一列に並ぶ。しかし、ピアノは縦に音符がいくつも重なったものが、しかも上下2段となって進行する。
 この点も、私がピアニストを尊敬してしまう肝要なところだ。


 余計な話のようなものだが、私が好きなピアノ曲のいくつか擧げてみる。
◇ 「愛の夢」(リスト)。◇ 「幻想即興曲」(ショパン)。◇ 「別れの曲」(ショパン)。◇ 「ノクターン」Op15-2(ショパン)。◇ ピアノ協奏曲第2番(ラフマニノフ)。
 いずれも、もし今からでも習えるものなら挑戦したいものばかり。しかし、叶わぬ夢であることもよく承知している。ピアノ版「イエスタデイ」(ビートルズ)なら何とかなるかもしれない。
 あと、映画「戦場のピアニスト」で流れたショパンの「バラード」も忘れ難い。


 <権兵衛の一言>
 音楽評論家は、ピアノの嗜みがあるのが普通のように思われるが、出来れば弦楽器の演奏にも通じて欲しい、というのが僕の希望。明らかに評論の深みがずっと違ってくる。(失礼ご免)。