「------- と思います」考

 首相の施政方針演説があったりすると、決まったように、与党は「良かった」と持ち上げ、野党は「抽象的」,「美辞麗句だけ」,「迫力がない」などとコキおろすのが通例となっている。
あまりにも毎回同じ調子なので、聞く前から、もう分かっているようなものだ。
 ひょっとしたら、事前に「施政方針演説に関する想定感想叙述マニュアル」のようなものを事務方が用意しているのではないか、と思われるくらいである。
 これを与・野党別にデータベース化しておけば、いつ政権交代があっても慌てることはない。


 表題の「------- と思います」だが、演説の字句を細かく分析して、「------- と思います」、「------ します」等が何回使われたかを計算し、それによって演説の迫力ばかりか内容の濃淡までも計出しようとする試みまである。
 「------- と思います」は弱々しいが「------ します」なら力強くてよい、などと言われる。しかし、それを伝えているTVアナウンサーが「------- と思います」を頻発しているのだから、それは弱々しいコメントなのだとうか ------- と思ってしまいます。


 私が思うに、表現が弱々しかろうが、強かろうが、太い声であろうが、消え入るようなカボソイ声であろうが、それなりの地位と権限を持つ人物が発言した場合には、それをどのように分析しようが、詮ないことである。
 つまり、発言に先だって、必要な事務折衝、関係先との調整、法令整備、必要な予算/人事の手当のメド等は既についている筈だから、いってみれば「口から声が出た」という事実がモノを言うのだ。口先だけのこと、とバカにすることは出来ない。(なかには、口先だけの陽動作戦もあるが)。
 予算委員会などが大荒れになり、委員長がモミくちゃにされ、マイクが奪われて発言が怒号のなかに消えても「可決されました」という声が出ただけで万事は決する。


 以前に見た映画でこういう台詞があった。
 ----- 軍司令官が「感想」を述べた時には、それを「命令」と看做せ。
 司令官には兵力を動かす権限と実働兵器を持っているのだから、「あれは気に入らないな」と言ったら、次の瞬間にはロケットが発射されるかもしれないのだ。
 言葉は怖い。
 ----- 気をつけよう、夜の道と甘い言葉。


<権兵衛の一言>
 言葉の分析遊びをする前に、その言葉の背景を考えてみることが先ではあるまいか、と思います。