論功行賞内閣の功罪

 新内閣が出来ると、マスコミは判で押したように悪口(愛の鞭?)を言うのが決まりだが、今回の安倍内閣については、あまりネタがなかったのか、大体「論功行賞内閣」ということで筆が一致していたような印象がある。
(*)そして、決まったように、新内閣の門出を祝って健闘を祈る、といった筆致が見られないのを不思議に思う。国民が前途を託する内閣を激励しないという風潮はおかしいのではないか。


 そこで論功行賞内閣の善し悪しについて考えてみた。
 大体が論功行賞内閣は良くない、と言っているようだが、批判する側には一定の判断規準がある筈だから、では、論功行賞内閣のどこが悪くて、もし論功行賞のない内閣ならどういう内閣であるべきか、例えばのモデルを示して貰わねば、我々庶民は困ってしまう。


 実は、盛んに揶揄されている筈の新内閣支持率が70%台の高さだというのだから、マスコミの評価に素直に従っていいのかどうか、更に分からなくなってしまうではないか。
(*)新聞によっては60%という支持率もあるから、支持率にもいろいろあるものだ、と承知しておかねばなるまい。
 先般、小泉首相靖国参拝(8月15日)が盛んにマスコミから叩かれたが、実は国民の支持/理解を高めただけに終った、という実績?もある。
 マスコミ論調は本当に国民の気持に添っているのだろうか----- この時の論調は、そうした後味の悪い思いを残してしまった、という指摘があるのも当然だ。


 論功行賞は本当に悪いのか。
 まず、論功行賞を行わなければ、内閣支持の為に汗を流した人たちは、一斉に背中を向けてしまい、自民党公明党内の融和も乱れ、強力な施策実行力が失われてしまうだろう。
 論功行賞を批判する側は、この人間自然の性向をどう見ているのか。これに目を瞑った論議は、所詮机上の空論だ。
 本当に論功行賞が良くないのは、実力のない人を要職につけてしまうことだ。支持してくれた人に報いるのには、要職ならずとも別の方法はいくらでもあるだろう。


 「産経抄」(06.9.29)に、関連した面白い記事がある。
 論功行賞とは距離を置いたところでエンジン全開しているのが伊吹文科大臣。
 就任早々、かねて話題の小学校英語必修問題について「必要なし」と公言したというのである。
 この問題は、中教審で大体推進の方向で進んでいたようだから、ここで一波乱は免れないだろう。
 もし「必修」論議が世間のムードに乗せられて進んでいたとしたら、ここでブレーキがかかるのは結構なことだと思う。問題は次ぎの世代を担う子供たちの教育に拘ることだからだ。
 教育は国家百年の大計----- それが内閣とともにコロコロ変わるというのも問題だが、ムードや拙速というのは更によくない。
 文部行政も「余暇行政」「文化行政」「生涯教育」/「生涯学習」、「ゆとり教育」------ 見直すべき面は多いのではあるまいか。


<権兵衛の一言>
 論功行賞から話が逸れてしまったが、小学校英語必修について、現場の先生たちは心の中でどう思っているのだろうか。
 私は英語が嫌いではないが、もし私が担当教員なら、伊吹発言で心の余裕を与えられたことに感謝するだろう。
 もし伊吹発言が、日本の英語教育に一石を投じることになれば、大いに論功行賞されてしかるべきだと思う。