「追っかけ」で豊かな老後?

 いってみれば、何にでも好奇心を持ち、熱心に取り組む前向きな人には、必ず豊かな老後が約束されているのか?----- という話題。


 読売新聞の「緩話急題」というコラム(06.9.26)だが、「追っかけ/オバサマの熱狂パワー」と題して、生活情報部・福士千恵子氏が興味ある一文を草している。
(「オバサマ」とはなっているが、人類普遍の問題!と考えてよかろう)。
 具体例としては、空港等で韓流スターを追いかける中年女性群が擧げているが、この社会現象はここ2〜3年のことだというから、いささかの感慨がある。
 昔、ビートルズ来日時の熱狂や追っかけが、なお印象にあるから、ここ2〜3年のことと聞かされて怪訝の念を覚えるのかもしれないが、中年女性に限ってのことと考えてみれば、納得もいく。


 福士氏の分析によると、戦後世代の女性は、家庭から社会へ、日本から外国へ、と常に外へ出るエネルギーに突き動かされてきて、「追っかけ」は「ここではないどこか」を探し続けてきた多くの女性たちの生き方と重なる、のだそうだ。自分探し女性版の戦後史である。


 梨本氏は、こうした姿/エネルギーを肯定的に捉えておられるそうだが、氏の分析の矛先が「翻って、同世代の男はどうでしょうか」となるに及んで、問題は対岸の火事どころではなくなる。


 福士氏の記述はなお続く。
 ----- そういえば、中年男性に「追っかけ」はない。     
(では男性の自分探しはどうなっているのか)。
 それは「 モノ」と「過去」に向けられている。文具の収集、車やオーデイオ機器、歴史散歩、懐メロフォーク酒場の流行など。
 それはそれで楽しいだろう。だが、今を生きる生身の人間、新しさや若さにも関心を持ち、時には我を忘れるほど夢中になってもいいのではないか。


(そして、いよいよ注目の問題発言----- )新しい何かに熱狂することの快楽もまた、豊かな老後に通じる道だ。
(しかし、「追っかけ」を「依存症」という言葉に置き換えてみると、豊かな老後に通じる道は俄に厳しさを加えてくるように思われるのだがどうであろうか)。


 さて、韓流スターを「追っかけ」て、空港へ蝟集することが出来ない男性陣はどう振る舞えばよいのか。それでいて豊かな老後を迎えられるのだろうか。
 男の自分探しは「 モノ」と「過去」に向く、とする福士氏の指摘は鋭い。


 私は疑問に思うことがある。
 空港へ出向くパワーは凄いものだと思うが、どうして女性は文具収集、プラモデルや小型蒸機関車制作、熱気球、などに血道をあげないのだろうか。韓流スターの背後にある厳しい韓国政情に留意しないのだろうか。自分探しでカルチャー教室の梯子している人たちをどう思っているのか。
 福士氏には、是非これらのことを分析の第2弾としてお願いしたいものだと願っている。


 余談めくが、男の老後のあり方として、些か気になる発言を目にした。
 ----- 70代の男性だが、定年後、いろいろと職や趣味を探してきたが、どれもモノにならない。無為徒食に甘んじている現在の私は「負け組」なのか。


 無為徒食出来る身分が「負け組」、なんて誰が決めたのだろうか。
 新しい何かを「追っかけ」る気持はあるようだから、まだ救いはあるのかもしれないが、こういう方は「何か」が見つかってもそれに満足出来ず、常に外へ向かって青い鳥を探し続けるのではないだろうか。


<権兵衛の一言>
 豊かな老後の「豊かな」という言葉、再チャレンジの「チャレンジ」という言葉----- 何が豊かで何の為のチャレンジか、を考えてみる必要がありそうだね。
 僕なんか、無為徒食の毎日で大満足だよ。

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