不死身の紙飛行機

 産経(06.8.19)に「飛べ! オヤジの夢」と題して、人気上昇中の紙飛行機の記事が出ていた。
 私は飛行機が大好きで、新聞でもテレビでも、一寸でも飛行機の姿が映ると思わず注目してしまう。
 人力飛行機や乾電池駆動の飛行機の話題は、まさに感動ものだ。

 この記事を見て、直ちに連想したのはかってアカデミー賞候補にもなった名作映画「飛べ! フェニックス」である。最近、そのリメイク版が出たほどの作品だから、「七人の侍」同様の名品であることが分かる。

 これについては後述するが、私も飛行機好きのオヤジとして、模型飛行機を飛ばすほどの元気はないが、部屋にはプラモデルの「F16」、「スピットファイア」、「ボーイング727」(これは金属製の文鎮)が置いてある。以前は「ゼロ戦」などもあったが壊れてしまったのは残念。
 この「スピットファイア」は、あらゆる飛行機のなかで最も優美な姿を誇っている、と私は思っているのだが、専門家は「優美さ」については、違った審美眼を持っているものらしい。

 ほか、インタネット仕様以前のパソコンのソフトで、ハワイ上空の遊覧飛行や各種機体の飛行シミュレーションゲームを楽しむものがあったが、私のパソコン技術が未熟なため、無駄に眠らせてしまった。
 例えば、なかなか離陸出来ずに滑走路を オーバーランしたり、無事に離陸出来ても、上空を一周して滑走路に戻ってこれずに墜落したり、よく命が持ったものだと思う。
 シミュレーションには、雨天時の計器飛行やアメリカまで飛行してニューヨークに着陸するようなゲームもあったので、本職パイロットが自宅で模擬飛行訓練をすることもあるという。

 「スピットファイア」も「ゼロ戦」も、戦闘機であるからして、優美な姿に似合わぬ武力を備えているのは当然だが、私が戦闘機を好むのは別に戦争が好きだからではなくて、戦闘機というものが、重力と空気抵抗等の障碍を排してなお空を飛び、かつ、旋回性能、航続距離、重武装など-----相矛盾する要素を人智の限りを傾注して克服するその努力に、ある種の感銘を覚えるからである。

 設計/製造に人智を尽した最近の例としては「YS 11」の開発がある。これには優秀な機体を製作するには成功したが、費用を厭わぬ戦闘機と違って、経営面での重荷に耐えかねたという局面がある。
 しかし、設計面で興味を惹くのは、戦後、戦闘機設計等で名声の高い設計者たちの埒外で、若い技術者たちが時代に即した名機を産み出したという点である。

 さて問題の映画「飛べ! フェニックス」だが、これが大いに紙飛行機と関係があるのである。
 映画は、砂漠に不時着した双発機を、同乗していた飛行機メカに詳しい技師の指図で単発機に改造し、死地を逃れるというサバイバルものの傑作。

 作業に協力していたパイロットが、何気なく技師に「どんな飛行機を造っていたのか?」と質問すると、意外にも紙飛行機しか造ったことがないという。
 驚愕!したパイロットは、紙飛行機は操縦者がいないので、より忠実に飛行原理に即して機体を造らなくてはならない、という説明を聞かされ、なお半信半疑。
 ここいらの緊迫したやりとりが実に面白い。

 日本の紙飛行機には10万の愛好者がいるというが、制作に当たっている人のなかには工学博士や航空自衛隊出身の人もいるそうだ。ただのオモチャとは違う。
 「実際の飛行機をいじっているようだ」という声がある。
 ファンの中心が50代というのも検討してみる値打ちがありそうだ。

<権兵衛の一言>
 僕は飛行機操縦はヴァイオリン演奏技術に通じる面があるのではないか、と思っているのだが、これは別次元の(全く根拠のない)お話。