古希は古来稀なり-----か?

 古希というのは古来稀なり、というのが定説であったが、古希年代がこれほど元気な時代は、古来稀なり-----
というふうに変わってきているのではないか、と思わせられる節があるのが当節の風潮だ。

 以前、80歳代の人が書いた本が大いに話題になったが、それによると50~60年代は、まだ洟垂れ小僧扱いとされている。ちょうど40代の壮年が小学生を見るような目付きである。
 確かに人生8・90年という時代となり、昔、70
代で医療費はタダに近かったのに、いまは医療費を稼ぐためにもしっかり働かねばならない時代とは相なった。

 しかし、今回はこうした暗いイメージを強調するのが本意なのではなく、冒頭の「古希年代がこれほど元気な時代は、古来稀なり?」という文意に添った明るい内容のお話(の、つもり)。

 私が接しているアマチュア音楽の世界でも「参加年代」を巡って、いろいろな意識の変化があったように思う。
 以前、まだアマチュア・オーケストラが珍しかった頃、マスコミがテレビで団体を紹介するに当たって必ず用いたセリフがあった。曰く;
 当団の最年長者は誰か、また、最年少者は?

 指名に応じた最年長者は古希年代の人が多く、時に聴衆席から一種のザワメキが起こることもあった。それは信じられない、とい感懐とある種の敬意でもあったのだろう(意地悪く「年寄りの冷や水」めいた感想を持った人もいただろう)。
 最年少者は小学生の場合が多く、英才教育という前向き?の雰囲気からすれば、そう奇異なことでもなかった。(今は、小学生のオーケストラがベートーヴェンの「第9」を演奏する時代である)。

 出演団体が年輩者の弦楽四重奏団である場合は、決まって「全員合わせて250歳の団体」などと紹介されるのが常だったように思う。(いまから思うと嫌味だったね)。

 しかし、時代は変わる。
 私の狭い見聞範囲でも80歳代のフルートがいたし(管楽器は丈夫な呼吸器系が必要)、昨年、ある私大OBオーケストラでは、参加資格を50歳以上と限った「第9」演奏会を開催した。4人のソリストも熟年世代である。
 これを「快挙」と讃える必要はない。終演後、全員でマッサージを頼む必要もない。
 熟年世代では当り前のことである。

 しかし、快挙と呼べる事例もある。
 同じOBオケ有志の古希年代が「アンサンブルで古希を楽しむ会」を近く主宰する運びとなったのである。
 
 このコンサートのタイトル(のコンセプト)が注目に値する!
 つまり、古希年代の年寄りが集まり、止せばいいのに老骨に鞭打って音楽に挑戦する-----といったやや勇み足の雰囲気ではなく、音楽パワーで古希をも自然にクリアする、という気持が滲み出ているではないか。

 曲目はモーツアルトを中心としたもので、ピアノ、ヴァイオリン、フルートの協奏曲、等も。ソリストはいずれも団員。後半は、ポピュラー系で「金と銀」「水色の ワルツ」「慕情」など(これが結構、難しいのだ)。

 昔から年寄りの口癖は「若者に負けていられない」であったが、いまや国民総洟垂れ時代。
 07年から定年を迎える数百万の団塊世代が、50
兆円の持参金付きで洟垂れ予備軍に参入してくる。既に紳士服業界に波紋が及んでいるようだが、音楽趣味の世界にも参加者が増えるだろう。

<権兵衛の一言>
 演奏技術の習得は、服装のように自由に脱いだり着たりすることが出来ないのが難点だが、これについては、後日また触れる機会があるかもしれない。