英米人も子音は苦手?

 以前、犬は英語のほうが命令を理解しやすいのではないか、と書いた。それは語尾の子音が鋭く耳に届くかららしい、というのが私の推測だ。

 日本人は子音に、従って英会話に弱い----- というよりは、そもそも言葉のなかに子音が少ないのだから、英会話下手は当り前のことである。
 とりわけ笑いものにされるのは「L」と「R」の区別がつかないことで、日本人が「米を食べる」と言うと、それが英米人には「シラミを食べる」と聞こえる、として同じ日本人が日本人を笑うことがある。

 英米人は笑うのか? ここが問題。
 笑う人もいれば、一歩退いて笑わぬ人もいるだろう。
 笑わぬ人というのは、前後の文脈から考えて「シラミを食べる日本人なんている筈がない」と考えるのである。

 通説では、笑われるのは、むしろ、英語がペラペラでも、その内容があまりに軽薄な場合だ、ということになっている。作今は海外を経験する日本人は多いから、いずれこの通説は定説となるだろう。

 犬も英米人も子音に強い、というのは定説だろうが(犬については通説?)、その英米人も子音に弱い場合がある、とするのはオーストラリアの聴覚研究所教授のベスト教授である(産経、06.5.2)。

教授によると、米国生まれの6ヶ月未満の幼児は、「ダ」という英語とヒンデイー語の違いを聞き分けるが、1歳頃になると母国語の制約を受け始め、母国語にない子音の判別が難しくなるそうだ。
 成人した英米人がヒンデイー語が苦手だからといって、それを笑う人はいないだろう。
 外国語に弱くなる、というよりは母国語に強くなっていくことのほうが正しいのである。

 日本では、まだ国語力の定まらない小学生のうちから英語を必修にしようとする動きが顕著で、様々な論議を呼んでいる。
 発音が英米人なみになることは、既に期待出来ないかもしれない。(英米人なみになることに、どういう意義があるのだろうか)。

 それ以上に問題あり、とする意見は少なくないが、文科省・父兄には「聞く耳持たぬ」といった風情が感じられるのが、いささか(大いに)心配である。
 もし弊害があるとしたら、どういった形で成人後に現れてくるのか分からない点に不安がある。(子供には責任はないのだ)。

 考え方のポイントは実に簡単明瞭で、それは、立派な日本語が使える人が用いる英語は、立派なものになるに違いないということである。
 それ以外のことは考えにくい。
 改革は中学校英語にこそ必要、とする意見には重味がある。

<権兵衛の一言>
 犬にとっては、命令語の子音よりも、命令を発する人間の愛情のほうが大切だな。