モーツアルトの怪

(1)モーツアルトといえば「癒し等の音楽」の筆頭にあげられるのが常である。
 功徳はほかにもある。
 胎教音楽の雄。牛乳、ブロイラー、植物栽培等に欠かせない生産工学面での存在感。高級社交サロンでの会話の必修科目。頭が良くなる、という説すらある。

 何故か。私には不可解。何故か皆が口を揃えてそういうから、そんなものかな、と思うだけである。
 何故モーツアルトだあけなのか。
 素晴らしい音楽はゴマンと存在する。何故か、そういう方面に話題が及ばないのは、関係者が蒙っているマインドコントロールのせいではないか。
 あるいは、関係者の怠慢の故か。是非、教えてもらいたいものである。
(2)その一方で、モーツアルト音楽の天命は、あと50年限り、という説がある。その真偽、由来などは分らない。
 一つ考えられることは、クラシック音楽普及/啓蒙のために齎された「CD名曲集」の類が、名曲のサワリだけを切り刻んで編集しただけのものが多いせいではないか、とも言われている。

 サワリだけでクラシックが普及するものだろうか。考えられるのは、テレビのワイドショーやクイズ番組に強くなれることぐらいだが(という説があるが)、これではモーツアルトがいくら天才でも、あと50年の余命しかないのも当然だと思われる。

 では、モーツアルトに代わるべき存在は誰か。
 その答えは、人それぞれの心にしかない。

 私はモーツアルトは好きだが、彼がいなくても何とか生きていけそうな気がする。「癒し」の種は、ほかにも一杯ある。モーツアルトの有名曲を知らないことがあっても、別に恥ずかしいこともない。

<権兵衛の一言>
 僕の主人の愛好曲を内緒でバラしちゃうと(沢山あるのだが)大体、近代に近い、声楽を含むロマン派音楽、それも小品になるようだ。人間は定年過ぎると、大曲が苦手になるらしいな。
 80歳台の作家・安岡章太郎は、こんなことを言っている。
---- もう音楽に対して過剰な期待は持たなくなった。期待感よりも、受容する気持のほうが大きい。いろんな人
が貪欲に最上の音楽を聴こうとするけれども、それは耳の毒というものでね。