海外留学----諸刃の刃

  海外留学はごく普通のこととなったが、その評価は普通ではすまない。海外まで行って勉強した割には、大したことないね、と冷評されかねないからだ。
  行きはよいよい、帰りは怖い、ある海外留学生の弁によると、留学の成果レポートを出す時は恐ろしい思いがするという。
 一目見た上司から、こんなことなら誰でも知っているよ。君は海外に遊びに行ったのかね? と言われることがあるからだ。(昔は海外遊学といったそうだ。海外へ行くだけで箔がついた、懐かしくも良き時代)。

 以前は「出羽の守」と言われる方が沢山いて、例えば「アメリカでは〜」「 イギリスでは〜」と海外新知識を振り回して、日本を出た経験のないものは、それだけで恐れ入ってしまったものだが、流石に最近ではそういう風潮はなくなった(ように見える)。

  逆の現象もあって、海外特派員や観光客の日本についての見聞記があると、恐れ入って拝見したものだ。
 しかし、その見聞が僅か1週間ばかりのものであったとすると、流石に少し可笑しいのではないか、とする冷静ね目も生まれてきたようなのは「戦後60年」の功徳とも言える。

  しかし、その特派員などが母国へ帰国して、日本についての「出羽の守」ぶりを発揮しているのかどうかは想像するほかはないが、恐らくそんなに違ってはいないだろう。(海外の新聞論調などに、まま見られるようだ)。
 
 広大なアメリカの真ん中あたりに行くと、日本という国がどこにあるのか全く知らない人がいるとのことだが、私も暫くアメリカに滞在してみると、まず縦組みの邦語新聞が、とてつもなく奇妙に見えるようになり、それから次第に日本がアジア大陸のどこかに盲腸のようにブラ下がった存在に思えてくる。
  こうなって初めてアメリカの地についた、と言える存在になるらしいのだが、それは恐ろしい海外ボケが進行しだした証拠でもある。

  海外から日本に住みついた外国人は、初めのうちこそ日本/日本人が好きになるが、何年もいると次第に日本を疎ましく感じるようになる、とも言われる。
 一概にそうとも言い切れないであろうが、そこから本当の日本理解が始まるというのは、どうやら本当のようだ。
 海外留学は諸刃の刃、と言われる所以である。

 こういう好例もある。
 桐朋学園卒業後、ドイツに留学したヴァイオリニスト 河村典子氏。氏は「異文化圏に暮らすことは、日常生活の現象的なことだけでなく、その気質や思想の原点を、言語的環境から感じ取ることが数多くある」と述べている(「ストリング」誌、06年6・7月号)。
  さらに、ドイツ語的発想に根ざしたものを通じて、演奏面でも触発された、とのこと。

  例えば、演奏についてドイツ語には「退屈な」という形容詞があることを知り、上手くても退屈な演奏を反省させられ、音楽は点数や順位よりも「楽しいものであるべきだ」という思いに至る。
   海外留学とはこうでなくちゃ。  

<権兵衛の一言>
  盲導犬介助犬は英語が分る。というのは、訓練を英語で受けることが多いのらしい。
  想像するに、言葉の語尾(子音)が犬にとって聞き取りやすいことが、その理由の一つなのかもしれない。
 そういえば、下手だと指摘される日本人の英会話は、頭から尻尾まで「母音」だらけだからな。
  我が家での会話は当然日本語だが、「お手」「お座り」「待て」などの命令語は、語尾に力を入れてくれると分りやすいね。
  海外留学を志す日本人は、一度、犬の訓練センターで事前研修を受けるといいかもしれないね。(冗談ですよ)。