「ゼロ」と「クラシック」(その1)

● 共にベストセラー作家/百田尚樹に関係がある。
 「ゼロ」とは数百万部という発行部数を持つ「永遠のゼロ」のことで、百田尚樹出世作。この本は先の大戦中の日本海軍の名戦闘機/「ゼロ戦」とそのパイロットの人と運命を描いたものだが、この戦争ものとは全く畑違いのクラシック音楽解説書を百田尚樹は書いているのである。二つの分野での才覚を持つというよりは「永遠のゼロ」を世に問うまでの雌伏の期間、氏が本格的に嗜んできたクラシック音楽面のエッセイが、ベストセラーとともに世に出たということであろう。ついでに出たという感じではなく、音楽評論家としても一家をなすだけの立派な内容を備えている。


 それにしても、いま何故「ゼロ戦」ブームなのか。特に終戦後◯◯年の機会に先の大戦を振り返るという節目や風潮がある様子もなく、ブームは突然やってきた。保守系内閣の誕生が誘引したものでもなさそうだし、周辺諸国との関係はいまに始まったことではない。
 ゼロ戦パイロットの勇者坂井三郎の「大空のサムライ」をはじめとする「ゼロ戦」ものの本はいままでに多く出ているし、神風特攻隊のことはいまも我々の胸に痛いが、それが特にゼロ式戦闘機を絡めて語られるような空気もなかったように思う。
 この現象は、いずれ戦後史研究の一環として、その背景や影響等が明らかにされることだろう。


 ブームの先駆けとなったもの、あるいは、その余波が見られる。宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」。私は見ていないので詳細を語ることは出来ないが、ゼロ戦の生みの親の設計者/堀越技師が描かれているという。これを日本の軍国主義の再来だと見る向きもあったようだが、日本の過去を現在、将来に活かそうという考えが特に間違っている、という声は聞こえてこない。


 特攻隊や戦没学生のあり様については、いろいろと紹介されている。映画化された「永遠のゼロ」の主役俳優もゼロ戦の資料館や元パイロットから役つくりを学んだらしいが、「永遠のゼロ」も、ゼロ戦パイロットであった祖父の動静を訊ね歩くところから物語が始まっている。
 当時のゼロ戦パイロットはいずれも二十歳代の若者であったが、その人物像や死生観等は、例えば「きけ わだつみの声」(戦没学籍の手記)に明らかである。
 「永遠のゼロ」の数百万人の読者のなかの現代の若者たちは「永遠のゼロ」を読んで、あるいは日本海軍の名機/ゼロ戦の活躍に胸を踊らせたのかもしれないが、二十歳代の青年たちが祖国や家族の運命を思い、避けられない死を前にして何を考えたのか、楽しかるべき青春がそのような無惨な運命を辿らざるをえない現実を一体どう受けとめたのか。
 私が折にふれて思い出す戦没学生の詩に次ぎのようなものがある。


 遠い残雪のような望みよ
 光ってあれ
 たとえ それが何の光であろうとも
 虚無の人を導く力とはなるであろう


(私が特に感銘を受けるのは)
 同じ地点に異なる星を仰ぐ者の
 寂寥と精神の自由のみが
 俺が人間であったことを
 思い出させてくれるのだ


 これがまだ二十歳代の若者が発する言葉なのであろうか。私には言葉もない。


 書店に行くと、多くの「永遠のゼロ」が書棚にある。ブームに乗ってか、ゼロ戦のプラモデル、写真集、雑誌特集号までもある。聞けば、実物のゼロ戦を展示している資料館なども俄に増えた見学者の対応に追われているという。


 私も一人の飛行機ファンとしてゼロ戦関連本は多く読んできた。本のなかには、ゼロ戦の技術が「YS11」(国産の双発旅客機)の開発や新幹線に活かされていることを追ったものがある。
 私は特に戦争用具に繋がるものに興味を持つわけではないが、優れたもの作りには付きものの、厳しい技術開発の諸相には惹かれるものを感じる。
 セロ戦の開発では相
矛盾する性能要因をどのようにバランスよく解決するか、堀越技師の苦心のほどを想像してみる。
 例えば、戦闘機に欠かせない運動性能。これを満足させるためには軽量であることが望ましいが、これでは敵弾の防御に不足が出る。ゼロ戦は大戦当初こそ、その優れた格闘性能によって相手を圧倒したが、やがては、ゼロ戦を上回る性能、防御、重火器を備え、常に2機編隊でゼロ戦に立ち向かうアメリカ機の戦術に破れることとなる。
 攻撃用火器はどうか。これを整備すれは重量が増え、運動性能や航続距離が犠牲となる。
 堀越技師のみならず、すべての設計技師たちは、こうした矛盾点の克服に血と汗を絞った筈である。そして大戦当初の要求項目を満足させ、効果を挙げた成功例がゼロ戦だったのである。後年、開発競争に遅れを取ったことは必ずしもゼロ戦にとっての不名誉なことではない。


堀越技師がゼロ戦開発に掛けた努力につては、多くの伝記が残されているが、私が気にいっている挿話は次のようなものである。
 ゼロ戦は他の飛行機と同様に、方向舵、水平舵を操る操縦桿によって上下左右の運動性を得る。操縦桿からは鋼索で舵が繋がっている。堀越技師はこの鋼索に
,少し伸び縮みする剛性を与えたというのである。すると舵はジワリと効くことになり、ゼロ戦は人馬一体の如き運動性能を発揮することとなった。この試みは如何にも日本人らしさを体現しているようで、しかも世界初であったらしい。
 ほか、機体重量を減らすために、あらゆる機体鋼板に可能な限り穴を開けたという話は有名だし、また打った鋲の頭を水平に打ちならして少しでも空気抵抗を減らそうとした(その為工期が遅れることも)。
 設計開発チームの在り方にも工夫があったらしい。例えば、胴体、翼、尾翼、車輪等の開発を、それぞれ小チームを組んで責任開発させるのか、または、それらすべてを一人のリーダーが統括するのかーーー論議があったのではなかろうか。
 また、小チームにしても、3人制なら、緻密で纏まりのよい仕事になるのか、それとも2人制のほうが新規発想に富む結果が得られるのか、これは現代の製造現場でも活かされうる知恵であろう。
 この3人制、2人制は飛行機の編隊飛行にも活かされ、3機編隊は守りに強く、2機編隊は機動性/攻撃に長じて、ゼロ戦はこれに悩まされることになった。


 「永遠のゼロ」の終章には、戦闘機の身でありながら爆弾を抱かされて特攻機をなって散っていった主人公の姿がある。
 愛する家族のために、臆病者と陰で言われることも辞さなかった天才パイロットが何故特攻を志願したのか----- が次第に明らかとなる。


 日本が漸く低迷期を脱し、オリンピックとともに明るい未来を迎えようとしているいま、俄に起ったかに見えるゼロ戦ブーム。これを機として、戦争の意味、そして戦後あるいは将来を見据えてみるのも故あることと考えられる次第である。


 長くなってしまったが、次回では、百田尚樹のもう一つの顔-----音楽評論家としてのそれを、著書「至高の音楽」(クラシック 永遠の名曲)を題材にして跋渉してみよう。
 百田は「永遠のゼロ」執筆中、常に「カバレリア ルステイカーナ 間奏曲」(マスカーニ)を聞いていたという。

永遠の0 (講談社文庫)

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