「多摩ファミリーオーケストラ」というところ

 今般、ご縁があって東京都日野市を拠点とする「多摩ファミリーオーケストラ」第6回公演に些かの関わりを持つことを得ましたので、少し感想を書かせて頂こうと思います。
 以下はオーケストラ役員さんたちのお話を基に私の僅かな見聞を加えたもので、多少の憶測や希望的観測が入っておりますことを予め御許し願っておきます。
◇ 今回の定期演奏会は第6回ということで、まだ若いオーケストラかと思っていましたら、創設は1985年、既に二十数年の歴史を持った由緒ある団体で、当初の「日野青少年オーケストラ」が創立20周年を迎えたのを機に現在の名称に改められ、6回もの定期演奏会を重ねるに至った(毎回入場無料)とのことです。
 このオーケストラで薫陶を受けてプロになった方も少なくないとか。
◇ 今回の公演内容ですが、既にご承知の通り、交響曲第8番(ドヴォルザーク)、フインランデイア、ペールギュント組曲(抜粋)、スラヴ舞曲第10番(ドヴォルザーク)、ルーマニア民俗舞曲(バルトーク)、剣の舞、などかなりの難曲揃いですが、ほか、あまり例のないことでしょうが日本歌曲「故郷」(指揮者/杉原岳彦 編曲)をアンコールに加えてあることも特徴の一つと言えるだろうと思います。
 曲目は一見して、東欧、北欧やロシアにコンセプトが統一されていることが分りますが、お客様の好みから離れがちな大曲主義に偏しないように、とにかく親しみやすい名曲を------という意向が窺われます。
 公演後、知人からは「文句なしの名曲揃いで楽しかった」「弦と管のバランスが良かった」などの声が聞かれました。
◇ 演奏会に先立ってこの夏、「オーケストラチャレンジ」という企画があり、「演奏経験不問」でドヴォルザーク交響曲第8番を一緒に演奏しましょう、という呼びかけがありましたので私もチェロの末席に加えて頂いた次第です。
 最近のアマチュアオーケストラはレベル(敷居?)が高く、入団を希望してもパートトップが弾けるなら考えてやってもよい、というオーケストラもあるくらいです。オーケストラ側としては当然の要望なのでしょうが、素人には取り付く島もありません。折角オーケストラでの演奏参加を希望しながら、門前払いのような扱いに失望している人が少なくないという話をよく聞きます。このたび、演奏会にはチャレンジ参加の幾人かが晴れてステージに乗りました。
◇ このオーケストラはごく普通の団体のように見えますが「ファミリー」という名称にたがわず、親子で参加している団員もおり、どこにもない「暖かさ」があります。演奏会では、団員たちは「笑顔」でお客様に接するようにとの「お達し」が出ているくらいです。演劇や合唱団では当たり前のように行われていることですが「高尚な?」クラシックの世界では珍しいことではないでしょうか。 
 プロのオーケストラで聞いた話ですが、お客あってのオーケストラですので、事務方が楽員たちにお客には「笑顔で」、といくら御願いしても、なかなかそのような仕儀にはならないとか。楽員には緊張を強いられる演奏という大仕事があるので、そうそうは笑顔になれない事情があるのでしょうが。アマチュアオーケストラにしても楽器による演奏技術という壁があるので、どうしても重たい雰囲気になりがちなものなのですが。 
「ファミリー」という言葉は、おまじないのように、この壁を取り払ってくれるのではないでしょうか。
 余談めいた話を一つ。
 演奏会のための「進行予定表」に、指揮者への花束贈呈についての項目があります。
 ------- 終演後、指揮者が聴衆にお辞儀をして顔を上げた瞬間に花束を手渡すこと。
 と、丁寧に指示されているのですが、たまたま読んだ ビートたけし のエッセイに似たような場面がありました。
 ------- 落語家が舞台に登場して座布団に座ってお辞儀をする。その時に鳴っているお囃子の終了にうまくタイミングを合わせて頭を上げ「え〜〜」と始めるようでなくてはいけない。
 また、お辞儀が綺麗な人に、落語の下手な人はいない----- とも。
 難しいものですね。
◇ このオーケストラは、創設以来、音楽による青少年の育成を目的としているため、団員に中・高生を加えているのが特徴です。難しい第1ヴァイオリン等で活躍していますが、子供のくせに----- と思ったらこれは大間違い。小学生くらいで立派にコンマスが勤まるほどの凄腕はもう珍しくありません。
 子供さんを加えての練習は、大人たちには当たり前の「効率第一主義」「費用対効果」「技巧優先」等の原則から一歩距離を置いて、ゆっくり時間を掛けて自然に音楽を身に沁み込ませるような配慮が必要であるようにも見受けられます。
 しかい、大人には出来ても子供には苦手な音楽というものがありそうです。例えば「悲愴」第4楽章(チャイコフスキー)、交響曲第4番第2楽章(ブラームス)、「過ぎし春」(グリーグ)などの情感に溢れた音楽、それから「ピアニッシモ」と「ピアニッシでの美しいハーモニー」の音楽。(音程/音感の向上は、とりわけ「ピアニッシでの美しいハーモニー」のなかでの自己啓発的な修業によるのでなければ達成出来ないのではないか、と思っているのですが、どうでしょうか)。
 これらは恐らく子供に教え込むことば出来ないでしょう。テキストもありません。むしろ、教材は日常生活の中で自然に向うからやってくるのです。----- うまくいかない受験、就職、リストラ、友人との葛藤や離別など。
 でも、それらの試練をうまく乗り越えるための音楽もあります。ドヴォルザーク「第8番」「新世界」「運命」などがそうだと思います。小品なら「白鳥」(サン・サーンス)、「愛の挨拶」(エルガー)、「歌の翼に」(メンデルスゾーン)、「ウイーン奇想曲」(クライスラー)あたりはどうでしょうか。但し、超名演奏に限られます。
 教えることは困難ても、大人はこうした音楽を子供のために用意してあげることは出来るでしょう。感情の起伏の激しいオペラの劇中音楽を用いるのも一つの手かもしれません。
◇ 普通、アマチュアオーケストラでは、練習成果の一つの頂点として「定期演奏会」の成功を目指すことになりますが、このオーケストラの場合は、公演は必ずしも最終目標ではなく、練習もエキストラさんたちも公演自体も、すべて音楽による青少年育成という目標に奉仕するための手段/支援体制である----- という見方すら出来るような気もいたします。
 公演というのは一方で志気や技術を高めますが、下手すると公演終了とともに熱気、根気、集中力を失わせることにもなりかねません。公演がないと練習もしない、という事になっては困ります。成功への努力がオーケストラの内部で、かえって萎縮への道を用意することにもなるのです。そういう事例はいくつも見られます。
 指揮者、コンマス、弦トレーナー、役員たちは音楽指導のほか保護者/教育者としての役割をも担うことになるのでしょう。運営委員長は団員ではなく、保護者代表だという話ですが、これですと期せずして団の後援会長という役回りを思わせることになります。
 時間がかかるようでも、この子供たちが成人した暁には、音楽で地域社会を豊かにしてくれることが期待出来るではありませんか。
◇ このオーケストラには勿論多くの課題がありましょうが、いくつかの美質が見出せる点においては、まことにユニークな存在であるように感じられ、それらは他に大いにに自慢してよいことのように思われた次第です。
 人間だけが持つ「暖かみ」も音楽の世界に広く継承されなくてはなりますまい。音楽そのものは無機的ても、演奏する人間によって暖かくもなるのです。(音楽は素晴しくても心ない演奏で詰らなくしている例も多いことでしょう)。
 心温まる音色と歌で知られるヴァイオリンの巨匠クライスラーはこう言っています。
 詰らない駄曲を素晴しい名曲のよに弾いて聞かせる人を名人というのだ。        
               

ヴァイオリンの楽しみ

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