音楽合奏・硬軟2題/シューマン、杉ちゃん&鉄平

シューマン ピアノ五重奏曲
 シューマン堅苦しい音楽というわけではないが、古来ピアノ入り五重奏曲の分野ではまず筆頭に挙げられる秀作。これと並んでブラームスのピアノ入り五重奏曲や同類のドヴォルザーク、フランク、フォーレショスタコヴィッチなどがある。一寸編成は違うが無類の楽しさを持つ「鱒」(シューベルト)も忘れてはならない存在だ。
 ブラームスは少し気難しいようでいて馴染むと古い友人のような親近感を持つ不思議な作品。
 ヴァイオリンが一人足りないピアノ四重奏曲にも傑作が多いが、人数が足りない分だけ各奏者の責任が重くなる----- 換言すればそれだけ妙技が発揮出来る(アマチュアには一寸辛いかもしれない)分野となる。ピアノトリオとなるとこれはもう完全に名人の他流試合の世界、しかし、よほどうまくやらないと、演奏に隙間風が入る。


 シューマンのこの五重奏曲は、まるでピアノ入り室内楽の見本のような作風で、作曲技術、技巧、歌わせどころ、押出しなど「何でもあり」で、アマチュアもよく取り上げる大切なレパートリーとなっている。しかし、それだけに通俗的な演奏に堕すると平凡な練習曲のようになってしまうので、なかなか怖い作品でもある。
 とりわけ難しいのは第1楽章の扱いで、早い楽句と甘い歌うような旋律がない交ぜになっているところをうまく処理しないと、何を言おうとしているのか分らない演奏となってしまう恐れがある。なりふり構わず弾いてのける、というのも楽しみの一つかもしれないが、それではシューマン先生に悪かろう。


 具体的には、この楽章はまず全員の早い走句で始まるのだが、ピアノ五重奏というくらいだからピアニストにとっては挑戦の仕甲斐がある嬉しい技巧がそこここに展開されることになっている。ところがその技巧に溺れていると、曲はやがてゆっくりと歌う第二主題に差しかかるのだが、油断大敵、急ブレーキをかけても間に合わないことになってしまう。
 ピアノはこの部分を十分に予測しておいて自然体で適切な速度にまで緩め、第二主題の奏者/チェロとヴィオラに巧みに引き継がなくてはならない。
 この第二主題というのがまた曲者で、最初ゆっくりとチェロで歌い出され、それをヴァイオラが引き継いで、まるで一人で弾いているかのような効果を発揮しなければならないのである。生まれも育ちも違う二人の奏者が違った楽器で、あたかも一つの楽器のように弾くというのは、考えるだけでも困難な作業のように思えるが、実はこの部分はシューマンの最大最高の聞かせどころの一つとなっているのだから、先導役のピアノも、そして主役のチェロ、ヴィオラも心して立ち向かわなくてはならないこととなる。
 更に演奏を困難にしているのはチェロの音が高音域に及ぶことで、素人がやると高所での酸欠で息切れがしたり、音が割れて音程が下がったように聞こえてしまう。


 素人の私が述べるまでもなく、このあたりの合奏の難しさについてはいろいろと語られているが、一つには、テンポを早めて、かつ音量を上げていくような「行け行けドンドン」というような部分は、誰しも得意としているらしいのだが、その一方で、次第の音量を落としつつ微妙に減速していくような部分は苦手とする人が少なくないと言われている。
 シューマンのこの曲は、それが試される格好の教材となっているようだ。
 しかし、仮にこの作業がうまくいかないとしても、それが俺の芸術的表現なのだ、と主張されれば、それはそれで認められなくもない。しかし、判定を下すのは聴衆であることも同時に心得でおかなくてはならないことになる。
 試みに自分(たちの)の演奏を録音して聞いてみれば、十分歌ったつもりの演奏が酷く貧弱なものであったりして落込むことになる。
しかし、録音するまでもなく自分で自覚しておくのが正道である、と言われれば反論の余地はない。芸道はアマチュアにも厳しいものがある。


 プロの演奏を聞いてみよう。例えば評価が高いのはゲヴァントハウス弦楽四重奏団にピアノのレーゼルが加わった演奏である。
 第一ヴァイオリンのズスケは、以前、簡単そうで難しいモーツアルト弦楽四重奏曲K.575(プロシャ王第一番)を聞いて、その颯爽とした演奏に感銘を受けた覚えがある。モーツアルトの弦は、どの曲もそうなのだが、少しふっくらとした音で、しかも歯切れよく発音させるのが極めて難しい。ズスケは完璧で、曲がまるで違ったように魅力溢れるもののように聞こえたのであった。
 問題の第二主題のところのチェロ/ヴィオラも、緩急ところを得て、見事に歌わせていて、久しぶりに「これが室内楽だ」というものを聞いたような心地がしたものだ。


 昔の話になるが、映画「カーネギーホール」では、ある私宅での室内楽の集りで、シューマンの第2楽章が演奏される場面があり、友人たちが暖かい室内でソファに凭れながら美しい合奏に聞き入っていた様子が羨ましかった。
 この第2楽章もなかなかの難物で、テンポの緩急の変化の扱いが難しい。
 シューマンはこの曲にかなり入れ込んでいたようで、合奏技術の面でいろいろな創意が凝らされているのだが、最終部分の和音には、後年の精神不調を予見させるような不協和音があり、ハッとさせられたりする。ワーグナーを遥かに超えて、現代音楽のはしりのような印象を残す。


杉ちゃん&鉄平
 次は柔らか音楽の代表格としての「杉ちゃん&鉄平」のデユオ。ヴァイオリンとピアノが組んだ冗談音楽の作品である。
 ジャズヴァイオリンの分野では、正規に音大でクラシックを専攻したヴァイオリニストがクラシックの領域に進まず、その技術をベースとしたポピュラー音楽に進出して随分と話題になったものだ。


 この杉ちゃん (ヴィオリン)こと杉浦哲郎は、本格的なヴァイオリンの技法を心得た音楽家で、ピアノのこれも凄い技術を持った岡崎鉄平とともに、クラシック音楽を巧みにデフォルメした冗談音楽の分野で既に評価を確立している名人たちだ。CDもいくつか出ている。
 クラシックを題材とした冗談音楽は既にいくつも世に出ている。しかし、この御両人の音楽は、その優れた、真似の出来ない技巧でずば抜けたものを感じさせる。
 彼らの演奏は、例えば、「ハトヤカルメン幻想曲」。テレビCMでおなじみのハトヤものを思わせるメロデイに難曲カルメン幻想曲を巧みにあしらって笑いをとる。
 このカルメン幻想曲はあのハイフェッツが得意とした(ハイフェッツ級でないと弾きこなせない)難曲で、日本人では松田理奈が十八番としている。私はこの松田理奈がご贔屓なのだが、海外での修業が多くて日本での知名度はいまいちのようだ。しかし、まだ20代の若さなのに、旋律を見事に歌わせることでは既に巨匠の風格を持つ。カルメン幻想曲での鮮やかな演奏は、同じ曲を弾く名手ムターをも凌駕する勢いだ。


 杉ちゃんのヴァイオリンは、このカルメンの曲想を随所に煌めかせながら時にズッコケた音を交え、聞く人を笑わせる。
 ほか、例えば、パガニーニのカプリスを本調子で弾く(これは凄いことだ)一方でその崩し方もナミのものに止まらず、能ある鷹の才能と功徳を惜しみなく我々庶民に披露してくれているのである。


 クラシックを「崩す」といってもデタラメではサマになるわけもない。崩される前の音楽が、ちゃんと正統的に弾かれいればこその話である。
 「崩した」弾き方もヴァイオリン技巧の一つであることは間違いない。それなりの修練とセンスが必要だ。ヴァイオリンとはそれくらいの大きな可能性を持った優れた楽器なのだが、普通の学習ではまず修得出来まい。私の感じでは、普通のヴァイオリニストは、ヴァイオリンが持つ性能の6割ぐらいをまだ眠らせたままにしている。
 ヴァイオリンが持つ素晴しい音色や色艶の6割が未開拓のままなのである。勿体ないことだ。
<権兵衛の一言>
 デフレと震災と政治の閉塞感いう暗い話ばかりの世の中だが、少しは彼らの明るい冗談音楽を聞いて、元気を取り戻したいものだ。
 楽器演奏のことで申すなら、まず正規の演奏法をクリアしてから、ということになるのは当然である。