「余命一ヶ月の花嫁」放映の意味(その2)


  前の書き込みで、放映の意味を問うてみたいと思ったのだが、「余命」の意味からして人によって違うのだから、これは思ったほど簡単ではない問題だ。


 その後、ある女性乳癌患者から、次のような投稿があった。  事柄が癌対策の啓発に資することだと思われるので、紹介してみる。


 ------ 私は初発・転移の乳がん患者です。(放映は)確かにすっきりしない部分もありますが、ブームでも、胡散臭くても、ノリでも、乳がん検診を受ける方が増えれば良いと思うのです。
  続けて、
 ------ バブルの頃 ワンレン ボディコン  ダブル浅野などのトレンディードラマは欠かさずチェック、こんな世代のアラ40が乳がん世代なのですから。


  患者自身の言葉には、極めて重たいものがある。
  放映の形だけを見て、その是非を云々してみても切ないものがある。結果として、この患者が訴えられているように、「乳がん検診を受ける方が増えれば良い」ことは確かであろう。
  外部から生半可なことは、口走らないようにしなければならぬ。


  後日、更に分かってきたことは、放映関係者たちの間に乳癌検診を推進するボランテイア団体が立ち上がり、全国活動を続けていること、それから、本の印税を癌対策事業に寄付している、ということだった。
  癌対策は、有無を言わさぬ切迫した事業である。目的達成のためには、手段を選ばず、といった態度で進むべきなのであろうか。


 別件だが、10.26 NHKクローズアップ現代」で「癌ワクチン」についての報道があった。まだ研究段階だが、患者に試用してみて、一定の効果が見られたとある。
  このワクチンの特徴は、癌療法としての抗癌剤放射線、手術が、どうしても副作用を伴い、場合によっては重大な影響を及ぼしかねないのと違って、患者自身の免疫力を高めるところにあるので、安心して使用のうえ、効果を期待出来るところにある。
 癌という病気の恐ろしい点は、仮に早期治療が成功したとしても、何時再発の危機に見舞われるか、予測が難しいところにある。患者は退院したその日から、再発を怖れての戦々恐々とした日々を送らなくてはならない。
  再発が嫌なら、毎日抗癌剤を飲めばいいではないか、という素人論議には、笑ってばかりもいられない空恐ろしさを感じる。
  癌の種類は数多く、下手に抗癌剤を飲めば、治療以前に健康体を崩壊させる怖れがあるのである。
 初発癌にせよ、再発癌にせよ、発症してから慌てて治療に走る、というのが実態ではあるまいか。私はそれを実体験させられた。悲しくも恐ろしいことだ。


  癌にかからぬように、また、再発しないように、あらかじめ(副作用のない)ワクチンで癌を撲滅出来たら------ というのは、すべての患者/家族/関係者の身をよじるような悲願であるに違いない。 
 問題は、ワクチン開発、試用、実用化のための膨大な費用である。
  アメリカでは、日本の10倍の費用が対策のために投じられているという。
 アメリカと日本では「命の値段」が違うのであろうか。それは何故か。アメリカでは開発のための寄付行為や議会活動が盛んであるともいう。


  政権が民主党に変わって、生活者目線での政策が期待出来るようになったが、実際にはどうか。
 マニフェスト重視、無駄な経費削減はいいが、その渦のなかで、癌対策のような、生命に拘るが、しかし地味で基礎的な努力を必要とする経費は、削減あるいは軽視されてしまうのではないか。


  我が身をつねって人の痛さを知れ !
  病魔の怖れを知らない健康な人たち、老いや傷害の苦しみに想像が及ばない若い人たち、そして目先の政局に追われる政策担当者たち------ この人たちを振り向かせるためには何が必要か、どうすれば「意識」が変わるのか。
  この人たちが老境に達し、杖に縋り、あるいは癌に倒れる日を待っているのでは事態は改善されない。


 私が通院している病院の看護師に、試みに訊ねることがある。
 ------- 貴女は研修中に、痛い(模擬)注射をされたり、試しに数日でもいいからベッドに縛り付けられて点滴を受けたことがありますか?
 芳しい答のないことが殆どであった。
  いま、薬物問題でテレビのアイドルたちが裁判沙汰になり、普通以上の世間の耳目を集めている。
 これが世間一般の薬物被害に関する意識を高め、対策の推進に貢献してくれるのならいいのだが、裁判が終ると忽ち忘れ去られてしまうのではないか、という気がしてならない。
 それとも、前述の女性乳癌患者のように、「ノリだと分かっているテレビ報道でも、世間の注目をひけば、それでもよし」とするのか。


  「癌から5年」は、癌経験者の岸本葉子氏の切実な体験エッセイであるが、氏は再発予防のために日常どんな苦労と配慮をされているかがよく伺われる。
  風邪ワクチンのように、国民全員が気軽に活用出来る癌ワクチンが一日でも早く実用化されるよう、切に希望する次第である。


  しかしながら、ここに一冊の心に応える本がある。------ 「わたし、ガンです ある精神科医師の耐病記(頼藤和寛)」。
 あとがき で、言われるには、
 もし、様態が悪化しはじめるようなことが起こるのなら、あれよあれよといううちに往生してしまいたい。できれば、それまでに、特効薬とか革新的な治療法とかが発表されないことを望む。


 我々凡人は、粛然として頭を垂れるほかない、が、その一方で、あくまでも特効薬を望むのが偽りのないところである。
<権兵衛の一言>
  頼藤氏は、本書の冒頭で、次ぎのように引用している、
 ----- 人生は本当は希望なしでも可能なのである(S. ブラックモア)。


 私は、出来ることなら「希望」を捨てないで、人生をクリアしていきたいものだ、とも思っている。

がんと闘った科学者の記録

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