音楽閑話(18)「イエスタデイ」の痛み


 「イエスタデイ」----- いわずとしれたポール マッカートニー(ビートルズ)の最大傑作。私は昔からこの曲に入れ込んできた。
 なだらかな起伏を伴う、なんということもない曲調だが、そこに漂う哀感、情緒は比類がない。天下の名旋律である。
 ビートルズには、勿論多くの名曲があるが、私が気に入っているのはこの1曲。作曲家ポールは、ある夜、この曲を夢うつつのうちに聞き、目覚めてから急いで記譜したという。彼は更に、過去の名曲の引き写しではないか、と自問し、楽友たちに訊ね回ったともいう。
 「なんということもない」名曲。誰にでも作れそうにも思えるが、ポールが作曲するまでは、過去に誰一人として思い付けなかった旋律なのである。


 この曲を手がけた歌手、楽団は無慮数千に及ぶといううが、私が最も気に入って愛聴しているのはアメリカの男性歌手アンデイ ウイリアムスである。彼の暖かくもどこか哀調を帯びた歌唱は素晴しい。ただ巧いというのではなく、「イエスタデイ」という曲名そのもののように、過去を追慕する情感において、これに比肩するものがない。敢えて女性歌手に求めれば韓国の李成愛ということになる。アンデイも李も、共に引退して久しいが、歌の価値はそのようなものに左右される筈もない。
 「イエスタデイ」は、アンデイ版以外でも、いろいろと聞いてきた。------ 例えば、ポール モーリア楽団、ボストン ポップス、ベルリン フイルの12人のチェロ群、高嶋ちさ子とその仲間たち。しかし、アンデイ一人の魅力には抗すべくもない。


 曲が世に出たのは1965年あたりだという。私が結婚した頃だ。その前後からよく聞いていたのは、これも天下の名旋律「魅惑の宵」(ミュージカル「南太平洋」)。その曲想を日本に求めれば都はるみ の「北の宿から」ということになろうか。
 若者や中年のおじさんたちが胸を焦がした曲群である。


 私が趣味としたヴァイオリン(とチェロ)では、アンデイのような暖かい音色と情感が出せるのを理想とした。しかし、アンデイの声そのものは、別に技巧を凝らさずとも、そのまま心に響く。弦楽器にいくら小手先の技を加えようとしても到底出せる芸域ではない。
 アメリカには、この「イエスタデイ」を編曲した弦楽四重奏曲(小学校教材)があるのだが、簡単な作りなのに、いや、簡単なるが故にその豊かな曲想を出すのは一層難しい。四人の奏者が共に失恋の悩みを共有すればよいのか、というと、そんな安直なものではないらしい。
 この曲は、一般にはかっての恋人を想う歌とされているようだが、実は、ポールが少年時に乳癌で失った母を痛く追慕する曲なのだという。なまなかな綺麗事や感傷のみの曲ではないのだ。


 いま、なんの心の準備もなくアンデイを聞くと、やたら物悲しいような、痛いような昔が思い出されてならない。
 もう一つ痛みを加えるのは、最近図書館で瞥見した勝間和代著「断る力」である。氏によると、断る力とは畢竟自主性の確立である。著者は若い時からその働きぶりを買われたが、宮使えが必ずしも自分を肥やす支えにならないことを賢明にも悟り、余計なものを断る力と自主性の確立の両立を志し、そして成功した。
 私も就職時は、むしろ人に使われることが自分の力になる、と思うところがあり、それなりに働いたつもりであるが、「断る」という自覚のないままに馬齢を重ねてしまった観がある。もう取り返しがつかない、というのが「痛み」を齎す所以である。
 「断る」からには組織を飛び出して一匹狼で過すだけの覚悟がいるが、組織にはそこに埋没することによって自分も家族も活かされるという甘みがある(ところが怖い)。例えば、自分や家族の医療費の重圧から救ってくれた共済組合の給付サービス。英語が必要な職場への配転による恩恵、それが幸いした海外研修への道、国際会議への参加、など。しかし、断る力をバネにした研鑽でない限り、職場で得られる知識/技能などはタカが知れているとも言える。
 功罪半ばす、と言えば格好がよいが、結局は生半可に終り、しかも、やり直しは多くの場合不可能だ。
 勝間氏は立派だと思う。


 「断る力」というと連想されるのは「出る杭は打たれる」という言葉である。打たれるくらいに目立つパワーがないと、断る力にはならない。
 著書の一節 ------ 官立一流大学出の職員は、環境適応性が高く、断る前に(恐らく自尊心が許さないのだろう)まずは力ずくで仕上げてしまう、とあるが、これは本当だ。
 私の職場は所謂年功序列/終身雇用型で、力ずくで働く必要性が基本的に感じられないところだった。信賞必罰が利かない職場である。しかし、そんななかでも出る杭はいた。そういう人は自分で仕事を作り出し、人が放置してある仕事を拾い集め、結果として「信賞必罰」が活かされる結果となった。
 著書には、もっと鋭い指摘もある。
 秀才タイプでよく仕事をするのに、そのせいで仕事量だけは多くても、判断業務からは遠くなり、単純労務だけが益々多くなる結果となる、というのである。


 これから就職する若い人は、この本を必読すべきか。それは難しい。人には何か定められた業みたいなものがあって、うまく気がついて方向転換出来る場合もあるし、気がついても現状維持を選ぶこともある。


 勝間氏には痛い後悔感を誘われることがあるが、いまからでも間に合いそうな教訓は、以前テレビで拝聴した次の三か条である。


 よく本を読み
 よく人の話を聞き
 そしてコツコツと続けること。


 これらをどう「断る力」に繋げていくかは、若い時からの資質にかかっているように思われる。


 ついでながら、他に思い出に繋がるものを------
ポールやアンデイに匹敵する日本国産のものを考えてみよう。
 三木露風の詩はどうであろうか。


 ふるさとの  小野の木立に

 笛の音の  うるむ月夜や

 小女子(おとめご)は   熱きこころに
 そをば聞き  涙流しき

 十年(ととせ)経ぬ   おなじ心に
 君泣くや   母となりても

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 眼前に広がる白夜のような森の風景、そこに流れる笛の音
 十年の歳月の流れを追慕する人の心 
 「うるむ」という日本語が、かくも美しく情感豊かに用いられた例を私は他に知らない。
<権兵衛の一言>
 三木露風の心を心とする人が四人集まれば、前記の「イエスタデイ」の弦楽四重奏版を演奏し、そこにアンデイのような情感を盛り込むことが出来るかもしれない。難しいことではあるが。