小説に見る日本と朝鮮半島/中国

 朝鮮半島/中国は常に日本の運命を左右してきた存在であった。海洋国家という地勢的条件に恵まれての運命ではあったが。
 北朝鮮の核は周辺諸国に対する重大な脅威となっているが、その昔、隋帝国は半島北部の高句麗侵略を意図し、これが成就されると、南接する百済新羅を下して日本を窺うという、まさに元寇以上の容易ならざる軍事的脅威となっていた。
 このあたりの情勢を切迫した外交交渉を含めて小説化したのが八木荘司「遥なる大和」(上・下)である。


 当時、摂政/聖徳太子は遣隋使・小野妹子を隋に派遣して国書を呈したが、その有名な文面は「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」で始まるもので、果たしてこれを読んだ隋皇帝は怒りを覚えたという。
 ところが、作家・黒岩重吾によると、この文面は高句麗から聖徳太子のもとに遣わされて来ていた学僧の案になるもので、意図的に隋を怒らせ、高句麗への隋の強圧を日本にも振り向けさせようとした政治的策謀だったとされている。
 その真偽はともかく、隋は100万という未曾有の大軍を擁して数度 高句麗への侵攻を試みたというから、日本にとっても国家存亡の危機だったに違いない。


 日本は高句麗百済と連携して高句麗支援を図る。ところが、新羅聖徳太子と対立していた蘇我一族と組んで高句麗を背後から脅かそうとする。
 蘇我の勢力は、対立の域を超えて、例えば、新羅使節団の大和朝廷への挨拶と進物を、無理に蘇我一族で受ける形にしてしまったほどであったという。二元外交の弊どころの話ではない。
 小説は諸国間の、そして日本内部での政治的/軍事的軋轢を描いてあますところがないが、隋は結局大軍の敗退や国内の乱れに耐え切れずに崩壊し、代わって唐が国を治めることとなる。


 隋のことで印象に残るのは、大運河(高句麗侵攻用も含む)の建設、ほか、小説にはあまり出てこないが、州県制度の整備、科挙による公務員選抜制度等。
 運河建設に当たっては、数百万の人民が使役されたとされるが、男手が不足すると女性までも動員されたという。
 皇帝が乗る巨大な御座船の記述もあるが、これは運河両岸から多数の人民が綱で曳航したのだそうだ。


 唐時代には遣唐船が派遣されることになるが、このあたりを活写するのが井上靖天平の甍」である。
 遣唐船の成果の一つは、派遣された学僧が20年に及ぶ苦難の末、高僧・鑑真の日本への招聘に成功することであるが、その詳細は小説に譲る。
 印象的なのは、帰国した学僧に、何者か(日本帰国を果たせなかった他の学僧と見られる)から中国の甍が贈られ、それが唐招提寺金堂の屋根に嵌め込まれている、というくだりである。
 これが小説の題名の由来ともなっているわけだが、何か壮大な東西交流の歴史の一端を感じさせる一挿話ではあるまいか。


 時代が下って宗となると、受け継がれてきた科挙受験のために、地方から開封に上ってきた青年が井上靖敦煌」の主人公となる。
 青年は受験に失敗するが、帰路途中で見かけた西夏女の荒々しい魅力に惹かれ、それが開封から2000キロも離れた敦煌に法典類を隠匿する事業に巻き込まれる発端となるのである。
 この小説の抜群の面白さは、到底私の筆の及ぶところではないので、次ぎの元時代に移る。


 元はチンギス・ハンそしてフビライの国であり、一大帝国を築いて東西文明文化の大交流を齎した国である。
 その余波の一つが元寇であり、日本にとってはとても余波どころではない国家存亡の危機であった。
 その大波に翻弄され、日本侵攻の先兵までも務めさせられたのが半島の高麗国であり、その厳しい歴史を描いたのが井上靖「風濤」である。
 高麗国使者が日本に齎した元の国書には;
 「兵ヲ用ウルニ至ル、ソレ誰カ好ムトコロナランヤ」
 とあったという。


<権兵衛の一言>
 「兵」を「核」と置き換えたらどうなるか。
 ------ソレ誰カ好ムトコロナランヤ
(*)古代史研究が進み、なんと聖徳太子は実在しなかった、という説があるそうである。
 こうなると、権兵衛の小さな頭は混乱するばかりなので、この説は聞かなかったことにしよう。