オペラ「カルメン」に涙

 「カルメン」については、アマチュア・オーケストラで舞台下のピットに入り、その難しさに大いに泣かされた思い出がある。ピットからは、いくら舞台を見上げても、歌手の声はすれども姿は見えず、頼るは指揮棒だけで、正直申して心細くて楽しむどころではなかった。


 「カルメン」については、いろいろなビデオやDVD版があるようだが、いま所持しているのは天下のメトロポリタン劇場での豪華版ビデオ。私が参加したアマチュア版ビデオは、予算の関係で悪く言えば学芸会と言われても仕方のないくらいのものであった。
 しかし、そこから受ける感銘というのは、また別物。日本人のソリストたちは声量にやや問題があるにしても、立派に歌い上げていて簡素な舞台装置を別とすれば(身びいき100%にしろ)、なかなか見応えのあるものだった。
 ここでのホセ役が、現在一流歌手として活躍しているのは心強くも嬉しい限りである。


 先日の夜、NHKで外国産の「カルメン」ハイライト版があり、また前記のアマチュア版を見直して感銘を新たにしたところだが、感銘の仕方にもいろいろある。
 一般に「カルメン」といえば、情熱の女、格好良い闘牛士など、ラテン系の血が騒ぐような音楽が頭に聞こえてくる(組曲カルメン」はそうした音楽だ)。
 しかし、「カルメン」の魅力はこればかりではない。
 ビゼーが原作にないミカエラというカルメンとは対照的な清純な女性を登場させることによって「カルメン」の感動の幅と奥行きは大きく膨らんだ。


 普通、このオペラの圧巻はホセがカルメンを刺殺する第4幕なのだが、第1幕の感動は一寸質が違う。
 ここでは、故郷を出てホセを訪ねてきたミカエラが、携えてきたホセの母の手紙を巡って、ホセと重唱するところが極めて印象深い。
 母は強し! 年を重ねると、特にこうした場面に涙を誘われて我ながら狼狽する。ピット内で苦労して楽譜を追いかけることのみに終始していては、こうした感動を見過ごしてしまうだろう。


 私の宝物は、テープ版の「カルメン」だ。出演は世紀の歌姫マリア カラス。ホセはゲッダという名優、それにプレートル指揮のパリ感という陣立て。
 このプレートルは、先般、ウイーンのニューイヤーコンサートに出演したが、その歌わせ上手な腕前は類がなかった。
 「カルメン」といえば、彼女の重要なアクセサリーとなっているのが、ホセに投げつける「花」である。
 普通、これは真紅のバラが選ばれているようだが、原作では黄色のアカシアなのだそうだ(急いで読んで確認しなくては)。
 私の最も好きなオペラは「アイーダ」で、その異国的、歴史的興味は尽きないが、「カルメン」についてもいろいろと小さな拘りを持ちたいものは多い。
 小さなものにこそ神 宿る。


<権兵衛の一言>
 趣味にもいろいろあるが、涙を誘われるほどの趣味は、生涯、大切にしなくてはなるまい。