● 大反響とは? 城山氏の場合


 肉親を亡くされた方から伺った話。
 愛妻を亡くされた城山三郎氏の愛惜の遺稿「そうか、もう君はいないのか」が(週刊誌によると)「大反響 大増刷 ! 」なのだそうだが、少しく違和感を覚えたとのことであった。
 最愛の人を失ったことは何ものにも代え難く悲しいことだ。しかし、大増刷までして大反響を呼ぶまでのことであるのか。著者/城山氏の意向に添うことなのかどうか。


 最愛の人を失う悲しみは多くの人に共通するものだ。特定の人の悲しみばかりが悲しみなのではあるまい。
 「大増刷 !」と囃すのは出版社側の自由であるが、遺族の感慨とはかけ離れたものだ。「違和感」と言われるのにはもっともな理由がある。


 「大反響」を呼んで欲しい事柄は別のところにある。
 同書のなかに描かれていた医師の告知への怠慢、それにもまして、患者の病状を笑いの種にしたその態度である。
 現在は流石にそういう医師は存在しない筈だ、と思っているが、経済小説作家、ノンフイクション作家として大きな存在感と業績を示してきた城山氏には、存命中に医療の諸問題について「白い巨塔」に劣らぬ鋭いメスを振るって頂きたかった。残念なことである。


<権兵衛の一言>
 氏は夫人の没後、「半身を削がれた」ような生活を続けられたそうだ(次女・紀子氏の手記)。
 肉親を失うとは、「大反響」とは全く別次元で、そういう思いに耐えることにほかならない。合掌。