私の三つ星


 ミシュランの三つ星日本版が発表されたとかで、グルメ界は大騒動。しかし、私は食事(カリリー制限)
されている身なので、こうした事柄には一切関係(関心)がない。食事に関しては、基本的に粗食であろうとも、カロリー制限内で栄養に偏りがないものであればそれでよい。
 外食する場合は、上記の条件を満たしてくれる和洋のレストランが私の「三つ星」店ということになる。この場合も、わざわざ遠くまで出かけていくまでもない、ということが条件のなかに入るので、勢い、自宅の近辺ということになる。
 欲をいえば、これらに心休まる喫茶店があれば言うことはない。


 食事を別とすれば、「三つ星」に通い慣れた近くの書店と図書館が加わることとなる。
 生活面では、パソコンでは今使っているマックの「iBook」が私の三つ星。といっても、ブログとメールに使うだけだから、どうでもいいようなものだが。
 愛読書は、無理に三つ星を決めても意味のないことだが、これからは優れた歴史書歴史小説を読みたいものだと思っている。テレビについてはノーコメント。
 萬年筆も三つ星のカテゴリーに入るのかもしれないが、これまで愛用ののドイツものから徐々に日本産に偏っていくような気がしている。


 間もなく新年を迎えるが、新春からの三つ星の最大のポイントは、亡くなった家内(11月没)との生活をどう立て直すかということである。
 このほど読んだ小説「その日にまえに」(重松清)に、こういう部分があった。
 妻の没後三ヶ月目に遺書が出てきたのだが、それには「忘れてもいいよ」とあったという。
 痛烈な言葉である。痛烈で、しかも夫への愛情が溢れている。
 しかし、私の場合にどう当て嵌まるのか。私には答えがない。


 私は家内を送るに当たっては、「告別」「お別れ」「偲ぶ」等の表現を避けて、あくまでも「今も(心のなかに)生きている」という感じで「囲む会」というようなものを考えていた。しかし、これでは世間様の常識で認められる訳はなく、つまりは普通の(無宗教の形)を選んだのだが、「囲む」という気持が今後にどう活かせるのかが課題として残されている。


 これはともかく、今後の差し当たりの私の三つ星は次ぎの通り。
◇ 私の再起を家内に実証するために、以前からの課題だった原稿(英語学習に関するもの)を仕上げること。また、家内の闘病記を含めた実像を世に残すための記録を纏めること。
◇ 長年親しんできた楽器(ヴァイオリン、チェロ)による室内楽は、弱視のために中断しているが、それを易しくてハーモニーの美しい曲に限った形で復活すること。
◇ 闘病中の人やその家族たちの常設の会があるようなので、それに加わって何らかの助力をすること。(以前は、集まって何か愚痴を言い合っているような感じがしていただ、それはとんでもない誤りであった)。


<権兵衛の一言>
 すべて自己管理がうまくいってからの話。難しいことだが、皆様それぞれに黙って実行されている様子なので、やってみる以外になかろう。