時計---- 一期一会の針音(再録)


私は散文(いい加減)型の人間で、とても詩集片手にプラタナスの道を散策出来るような風情でもない。
 また、中高年という立場からすれば、そういうことにいささかの気恥かしさを覚える、というのが何やら自分にふさわしい態度であるように も思える。(もちろん、中高年にもいろいろなタイプがあろうが)。
  年寄りの冷や水、というのは、充分に心得ておかねばならぬ。


   しかし、そうはいっても若い頃から、僅かながらでも好きな詩はいくつかあり、それは年齢とともに変化してくるのも事実である。
  そう何時までも「秋の日のヴィオロンの-----」や「山のあなたの空遠く-----」というわけにもいくまい。(もちろん、異論はあろうが)。


  社会人になってからの好みというのは、特に自分の戦争体験を背景にした戦没学生の詩(「聞けわだつみの声」)であり、シラーの「歓喜に寄す」(第9交響曲)であり、また、少し早かったかもしれないがウルマンの「青春」であった。
 戦没学生の詩では、とりわけ、


 遠い残雪のような望みよ 光ってあれ
 それが何の光であろうとも 虚無の人を導く力とはなるであろう


  という叙述に導かれる素晴らしい一編の詩(作者不詳)が気に入っている。 多分、戦場でこれを書いたであろう若い学徒戦士の心境を思いやると、いつも胸が痛む。
  ウルマンノ 「青春」(岡田義夫 訳)というのは、「青春とは人生のある時期を言うのではなく、心の様相を言うのだ」という名文句で始まる有名な長文の詩で、ファンも相当に多いという。
   シラーについては、最近の私の個人的事情の絡みもある。          
  私は若い時から下手な弦楽器で仲間と合奏を楽しむのを趣味としてきたのだが、年とともに目を痛めて楽譜を追うことが出来なくなり、器楽よりもむしろ声楽を含めた音楽を聞くことが多くなったのだ。
  シラーの歌詞(第9)は、知る通り「おお友よ、(求めているのは)これらの音(器楽)ではない!」という男性ソロで始まり、器楽を伴奏に従えた壮大な合唱で曲を締めくくるのである。


  シラーを引き合いに出すのは、いささか気恥かしいが、年を重ねると、心に響く歌/詩に感銘させられることが多くなる。
  例えば、何気なく歌われる「赤トンボ」、映画「生きる」の主題歌となった「命短し恋せよ乙女」の歌詞、さらには演歌「王将」の「明日は東京に出ていくからにゃ、何がなんでも勝たねばならぬ」などなど。

 
   八木重吉の「雨」も素晴らしい。僅か六行ばかりの詩に、長い人生を俯瞰する思いを歌い込んだものだが、これに多田武彦が素敵な旋律を付け、感動的な男性合唱作品に仕上っている。私が最も愛する作品の一つである。


  生活を豊かにするのに何も電化製品やグルメだけに頼る必要はない。好きな詩や歌があるだけでも、随分と心の支えになるだろう。
  しかし、そうなるためには、多少の仕掛けが必要であって、例えば、問題の多そうな小学校英語必修などは先送りして、もっと小・中学校に、童謡/唱歌を取り込むことが大切だと思う。
  子供の頃から、美しい旋律とともに豊かな語彙と情感が盛り込まれた童謡/唱歌が心に刷り込まれていれば、別に教育基本法のお世話にならなくても、品格ある日本人が育ってくることと期待される。


   私事にわたって恐縮だが、連れ合いの詩作を紹介させて頂こう。一私人の拙作が世に紹介される機会などある筈もないが、ブログならではの我儘として、お許しあれ。
(これは、家内が若い時に入院していた頃の作品。病院だから多くの人の運命の変転を直接に体験し、それが作品中に滲み出ている、と推察している)。


   ー時計ー


  人生は時計の針だ
  いつか別れても またあえる
  でもその時は位置が違う
  幸福に近づいた所で
  そしてお互いのよろこびの
  セコンドを聞きあう
  ほら鳴る チック タックと


 別れたら忘れずに
  お互いのゼンマイを捲こう
  そしたら早くあえるかもしれない


  もっと幸福な所で


<権兵衛の一言>
  どうやら僕の主人は、配偶者(著作権者)に内緒でこれを投稿するのらしい。しかし、別に盗作でもなし、夫婦のことだから、まあ武士の情け、大目に見てやることにしよう。