原点は「食」にあり?


 健康と医療に関する素人談義である。
 また知人の話を持ち出すが、長年の入退院や通院も「薬石効なく」というか、最近は貰える薬は痛み止めぐらいとなっているらしい。
 病院側が「生活の質」と言い出すのは、手術や投薬の
激しい後遺症や副作用に苦しめられるだけの生活よりも、治療の程度を和らげて病気と共存するように意識を切り替えたらどうか、という意味合いを含めていると考えられるのだが、これは取りようによっては、一種
の終末予告でもあろうか、と知人は言う。


 先に「スキマ医療の未来?」というブログ記事で、大病院の施療にはスキマがあるらしい?、と述べてみたが、これは別名「標準治療」と「補完治療」という言葉に置き換えることが出来るかもしれない。(あくまで素人考えなので、誤解のないようにお願いしたい)。
 大病院では(極端な話)患者が緩和治療を希望しても「標準治療」しか施してもらえないことがあるという。
 尊厳死を希望しても、その希望には法的拘束力がないから、医師としては「命を救う」という建前から、必ずしも患者の希望に添ってくれるというわけにはいくまい。
 スキマ医療にしても、「標準治療」の埒外ということで、つまり、医学的な立証データが不足している、との理由で希望が叶えられるとは限らない。いくら患者の自己責任で、といっても医師はおいそれとそれに従う訳にもいかないだろう。
 患者は病院の世話になる限り、こうした葛藤は最後までついてまわる。つまり、最後のツケは患者/家族が背負い込むことになる、と嘆いてもあながち言い過ぎとは限らないケースが蓄積されうこととなり、しかも
、それらは多くの場合、表に出ないこともあるだろう。


 病院の治療では駄目なのか。知人はそんなことは言っていない。
 「標準治療」、「スキマ医療」のほかに方途はないものだろうか。漢方、そして民間療法はどうだろうか。
 民間療法は別格として、漢方を治療に取り入れているとろは多いようだ。しかも一種の「標準治療」として。
 漢方は西洋医学とは一味違った視点から治療に当たる、という印象がある。つまり、局所療法に合わせて全身状況から病気に対応しようとする姿勢があるように感じられる。
 しかし、これにも「薬石効なく」といった事態は避けられない。副作用もないとはいえない。


 そこで知人が目をつけたのが「薬石」に頼らない方法である。薬石を投じる前に(あるいは平行して)、人間の身体自体を丈夫にしてしまおうという考えである。
 というか、医師から匙を投げられてしまった終末患者
には、これしか方法がない。(免疫療法というのだろうか)。
 ここに一冊の本がある。「病気を治す食べ方、食べ物」(石原結實、ベスト新書)。
 抗がん剤は、有効な薬だが、人間の身体に備わった外敵撃退のための白血球自体を(やむをえず)痛め付け、抵抗力を弱めてしまう。
 薬の副作用を嫌気して投薬をやめると、一時的に快方
に向かう現象が起こることがあるようだが、これが「一時的」に終ってしまうことがあるのが悲しい現実だ。
 投薬をやめ(やめさせられ)、しかも、身体の復調を維持するには、この本は役に立たないのだろうか。


 知人は、数ある食べ合わせのうちから、取り敢えず次ぎの処方を試してみたいという。
◇ 人参とリンゴのジュース
◇ 生姜入り紅茶(必要により黒砂糖入り)
◇ 玄米ご飯


 どれも昔から身体にいいと言われてきものばかりのようだ。
 問題は西洋医学東洋医学、それにスキマ医療、民間療法の効用や限界を心得た上で、また家族の協力を得た上で、長期間実行出来るかどうか、であろう。
 上記のものは、見たところそう高価でもなく、副作用も少なそうだ。しかし、こういう(一見平凡な)ものを持続するのは実は大変なことなのだ。


<権兵衛の一言>
 簡単で無料のラジオ体操が長続きせず、人は高額の金を払ってジムに通う。
 大病を得た時、人はまず病院へ向かうが、それ以外のものにも目を付ける余裕は、実は(恐らく)本人にはなく、周囲の家族や友人の心得がモノを言うことになる。


 ある果物屋に立ち寄ったら、即席のメロン、パイナップル、マンゴー、イチゴ、バナナ等ジュースに加えて、リンゴ+人参ジュースが販売されていた。偶然の商法かそれとも何かのポリシーによるものかは分からぬが、なかなか美味であった。(配合割合は聞き漏らした)。

病気を治す食べ方、食べ物 (ベスト新書)

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