音楽閑話(6)/チェロの哀歓

 私は40歳でチェロを始めるという奥手だったが、それでも何とか仲間と室内楽やオーケストラを楽しめるようになった。実は、高校生から始めたヴァイオリンの経験が少しはサポートしてくれているということがある。
 といっても、ヴァイオリンとチェロは全く異なる楽器なのだが、左手指先での弦の感触だとか、右手の運弓法だとかには共通するものがないでもない。
 チェロを始めるには、まず動機が必要だ。楽器を持っている(運んでいる)だけでもカッコいい、という程度ではなかなか学習が続かない。
 私の場合は、もともと何となく好きだったということがあり、ラジオ/テレビから流れるチェロの音色(例えばシューベルトの「鱒」)にウットリと耳を傾けたりもしたのだが、何といっても衝撃的な「動機」は、往年の名画「カーネギーホール」で見た名手ピアテイゴルスキーの名演であった(サンサーンスの「白鳥」)。
 この名演というのは少し注釈が必要だが、つまり、画中でのピアテイゴルスキーは、何と数人の美女が弾くハープ伴奏を従えて、それが何ともいえず印象的であったのである(正直申して、その姿は男のなかの男、まことに羨望にたえず、かつ、小癪でもあった)。


 名演というからには必ず名技に支えられている訳だが、この時に見た彼の超絶的技巧というのはその運弓の素晴らしさ。
 弓というのは見ての通り一定の(限りある)長さがあって(長さしかなく)、チェロの場合はヴァイオリンよりも短い。
 「白鳥」の最終部分は、弓の半分ぐらいから後、長い長い音を瞑想的雰囲気のなかで弾き延ばしつつ、消え入るように終るのだが、下手がやるとまずこの長丁場を持ちこたえることが出来ない。必ず弓が足りなくなってきて、泣く泣く弓を返すとそこで「瞑想的に弾き延ばしつつ消え入るように終る」筈のものがブチ壊しになる。
 世にはチェロの名手はゴマンといるが、その技を鑑定するには「白鳥」の最終部分を聞くだけで足りる。


 私のチェロ開眼と学習の無限地獄は、幸か不幸かここから始まったようなものだが、私にとっての幸運は、当時ヴァイオリンで在籍していたアマチュアオーケストラに予備のチェロが転がっており、これを使ってチェロ部門に情実入門することが許されたことであった。
 末席で身を縮めるようにして苦節数年、何とか周囲の名人たちの技を盗んで、弾いているフリ(これも技術の一つ)が出来るまでになったのは、我ながら目出度いことであった。
 更に幸運だったことは、下手ながらヴァイオリンとチェロの両面からオーケストラを眺めてみると、いろいろなことが読めてくるという恩恵に恵まれたことであった。


 私の学習は自己流だが、チェロについてテキストとしたのは前記の「白鳥」とモーツアルトの「アイネ クライネ ナハト ムジーク」の二つ。
 (無謀にも)「白鳥」を選んだ理由は、長く豊かに歌わせる運弓の訓練。後者は四つあるそれぞれの楽章に、学ぶべき技術が適当に存在している(と思った)からである。


 さて、好きなチェロの曲は多いが、ドヴォルザークのチェロ協奏曲のような難曲は、いくら好きだといっても、先方で相手にしてくれる筈もないから思案の外である。(難しい課題曲を抱えるチェロ専攻の音大生のなかには、この協奏曲には「ところどころ難しい部分がある」と嘯く羨ましいくらいの人がいるとか)。
 しかし、チェロは表現力が命だから、小品が易しいというわけでは決してない。「白鳥」を甘く見ると大恥をかく。
 「白鳥」は2台のピアノで伴奏するのが正式で、そういう悪魔の囁きのような好条件でソロに誘われ、アマチュアのオサライ会に出てみて、案の定大恥をかく羽目となったことがある。自己責任だから文句の持っていきようがない。
 「白鳥」の長く豊かな運弓が地獄への入り口だ。音程を取るのがやっと、という上に長い運弓に耐えられないのが右手の震え(震度5くらい)となって、短く貧弱な弓の演奏で終るという理の当然には、悔やむ余地すらない。いっそ、震度4くらいで自爆してしまえばいいようなものだが、それも出来ず、最終部分の運弓でトドメを刺される。仲間から「良かった」と言われることがあるが、それは最期まで辿り着けてマアマアだったという意味である。
 一寸ニュアンスは異なるが、難攻不落の「白鳥」に悩まされると、憎さあまって可愛さ百倍という気持になり、弾くのを諦めると、別れても好きな人、という心境になってくる。


 「白鳥」についての極め付きの名演はM.マイスキーである。この曲が含まれている「動物の謝肉祭」には、クレーメルアルゲリッチ、そしてマイスキーの3巨匠が加わった名盤があり、この「白鳥」をアルゲリッチの伴奏でマイスキーが弾くという夢のような名演が聞かれる。数ある演奏のなかでもこれが最高と高言して憚らない。
 私は 名演の CD をカセットテープに入れ直して、寝床のなかで耳にくっつけて聞くことにしているが、こうすると、微細な音程の揺れとかふくよかな低音の響きとかも聞き取れて感銘が倍増する。
 マイスキーの名演はまさに天国的で、大袈裟に言えば茫然自失、陶然として桃源郷に遊ぶ心地がする。
 お薦めの一枚である。


 あと、手が及びそうで好きな曲といえば、メンデルスゾーンのピアノトリオ。この曲はピアノこそ難しいが、弦(ヴァイオリン、チェロ)は易しそうだという錯覚があり、猫も杓子もアマチュアも手を出すのだが、この曲が弾けるピアニストというのは相当な腕前なので、実は弦の人たちは大丈夫なのかな、とピアニストのほうが腹の中で心配しているというのが実態らしい。
 私も挑戦してみたが、ヴァイオリンもチェロも相当な難曲であることは間違いがない。ピアノにブラ下がって何とかサマになっているようなものだ。
 あと2曲擧げてみると、チェロでの「ノクターン」(ボロデイン)と「愛の挨拶」(エルガー)。ともに歌わせるのが難しい名曲である。


<権兵衛の一言>
 曲の難易度を口にすることすらアマチュアには畏れ多いことである。
 早い大曲は当然に難しく、ゆっくりした小品は更に難しい。この難関を突破するのがアマチュアの心意気(可愛いところ)であろうか。