デヴィ夫人の思い---- 望郷の歌

 インドネシア独立の英雄、スカルノ大統領夫人として誰もが知る超有名人。
  数年前の新聞で知ったのだが、あまり報じられていない夫人の一側面は、クラシック音楽とのかかわりである。
  「イブラ音楽財団」の会長として、コンクールやコンサート活動などを通じて、世界の才能ある音楽家の発掘や育成に努めてきたという。
  夫人自身もクラシック音楽の素養を身につけ、境遇不安の折などに心の支えにしてきたとされる。

  その支えの一つとなっているのが オペラ「アイーダ」第3幕で歌われる「望郷の歌」だという。数あるオペラの名曲のなかで、特にこの曲を選ばれたというのは、夫人の境遇を考え合わせてみる時、まことに感慨深いものがある。普通のオペラ好きの人が言うのとは、遥かに違った趣きがある。
 この「望郷の歌」は、古代エジプトの時代、エジプトに囚われの身となったエチオピア王女アイーダが、遥か遠い故国を偲んで歌う古今の名旋律である。

  ------ここからは(出過ぎたことだが)私自身のこの歌に関しての感想。
  私がこの名旋律に出会ったのは、日本の敗戦後僅か十数年余、まだ戦後の余塵が消えやらぬ頃だった。
  日本の音楽史上の大事件といっても過言ではないと思われるのだが、オペラの本場イタリアから世界最高級のオペラ団が、NHKの招きで初来演したのである。(NHKにはとかくの評判があるが、こういう快挙はNHKでなければ達成出来なかっただろう)。
  イタリアも日本と同じ敗戦国であったが、国技とも国民の精神的支柱ともいうべきオペラをいち早く復興させ、日本人に優れた本場ものオペラの神髄を鑑賞して貰う、との意気込みで来日したのだという。

  神髄などと構えるまでもなく、モナコ、シミオナートといった超一流の顔ぶれを拝すれば、当時の貧乏国日本がその高い実力に(まさに)驚倒させられたのは言うまでもないことだ。
  とりわけ、この「望郷の歌」を歌ったアイーダ役のトウッチは、その声質ののびやかさ、音程の確かさと張りのある美声------いま聞いても、数ある名ソプラノのなかでも抜きん出た存在のように思われる。
  音痴青年だった私にその真価が分る筈もなかったが、当時の録音テープ(私の宝物)を聞き返すにつれ、当時の日本人が受けた驚きと彼我の音楽格差の絶望的な深さに感じ入らざるをえない。
  
 余談だが、オーケストラを担当したNHK交響楽団の演奏は出色だった。世界最高峰のイタリアオペラの伴奏を、ということで、さぞや猛練習でしごかれたことと思うが、N響は立派にその職責を果たし、日本音楽界の面目は保たれた。
  音楽演奏のレベルは一夜漬けで向上出来るものではないのだから、なおさらという感慨がある。

  テレビなどでデヴィ夫人の華やかな出演姿を目にすることは多いが、その華やかさと望郷の念との交錯、それに私の「 アイーダ」への個人的的な感慨を(勝手に)絡ませて、いろいろと思い巡らすことは少なくない。

<権兵衛の一言>
  今回はデヴィ夫人をマクラにして(失礼)自分の「アイーダ」を話してしまったが、本当はもっともっと話したかったらしい。
  そのうち我慢出来ずに、しゃべり出すだろう。
  「アイーダ」のテープは、「望郷の歌」を含めて、もう何百回も聞かされてしまったが、僕の生れ故郷(電車で半日かかる)を思い出さされて困っちゃうよ。僕の母親も妹も達者でいるらしい。