エッセイの華/東海林ほか

 何かものを書く時には、意識的にせよ無意識にせよ、何かを頼って書くことが多い。というか、正直にいうとそれらのマガイものであることが殆どである。
 華とは、私にとってのお手本という意味だ。
 しかし、出来上がったものは、お手本とは似ても似つかぬ貧相なもので、自分に恥じるのはともかく、これではお手本を書いてくれた名筆家たちに恥をかかせることにもなってしまうことを畏れる。
 そういう恥をかかせてしまうことをも恥とせず、私が師匠と仰ぐ名筆家たちの名前を挙げてみよう(順不同)。名前を挙げる範囲の狭いことと、読みの浅いことにも恥じ入るばかりであるが。


東海林さだお/漫画家が名エッセイを書く、というよりは、名エッセイにふさわしい漫画が添えられていて、それが名筆に趣きを添えるという感じがある。それらが笑いを呼べば、なお感興は忘れがたいものとなる。
 筆/画を支えている観察力の冴えは、凡人の及ぶところではない。
伊丹十三/「ヨーロッパ退屈日記」は衝撃的だった。一見嫌みでペダンチックな筆致が強烈な魅力となっている。「女たちよ」もすばらしい。単なる名文家ではなく、映画俳優、映画監督、イラストレーター、デザイナー、美術品蒐集家、ヴァイオリニスト、等々という多才ぶりが筆に結集した、という趣きである。
 惜しい人を失った。
山本夏彦/一寸辛口の文明批評が余人を寄せ付けない。いまの政権交代、経済不況の世の中をどう見るのだろうか。テレビ批評も是非聞きたいものだ。
◇ 内田百?/自他ともに認める大家。どこをどう真似したらよいのかも分らぬ。初めから器量の大きさが違っているのだ。
 多くを読んだわけではないが、例えば「特別阿房列車」は、特に用もないのに、わざわざ借金までして特急はと号の1等車に乗り、大阪まで行って一泊、首尾よく本懐を遂げたとして、帰りは3等に乗ってくる----- それが大の男の用事だ、というまことに人を食った話。誰がこんな話を思い付き、40頁(文庫)もの物語に仕立て上げられるだろうか。
◇ 学問的味付けを施し、しかも面白く、読んだ後は恰も自分もいっぱしの賢人にでもなったかのような幻想を与えてくれる人たち------ 丸谷才一土屋賢二林真理子
◇ どちらかというと、エッセイも素晴しいが、はやり本業の小説が抜群という司馬遼太郎藤沢周平松本清張
 司馬遼太郎松本清張には巨大な作品群に匹敵するだけの書翰集があるというが、恐らくは人間味に溢れ、多くの示唆を与えてくれるに違いないこれらの書翰を読んでみたいものだ。
◇ 名エッセイの走り------ 最近復刊された「はだか随筆」。謹厳たるべき大学教授/佐藤弘人の名筆。これが発刊された時は、恐らく世間を驚倒させたことだろう。
◇ 最後に私の最も敬愛する座右の書、があるが、これは私の個人情報としての企業秘密。誰にも教えてやらない。
 人は誰でもこうした秘密の指南書を持つべきなのだ、ということを情報秘匿の言い訳としで、この稿を終る(逃げる)ことにしよう。


<権兵衛の一言>
 エッセイストの玉村豊男は、こう言っている。----- 談論風発を得意とし、辛辣な批評や滑稽な合の手を絶妙な
タイミングで放ちながらつねに有利な傍観者としてのポジションを外さない、という人にはエッセイストの素質がある。


 毎年、文藝春愁社から珠玉のベストエッセイ集が発刊されるが、上記の資質を満たしてあますところがない。
 あまりにもレベルが高くて、真似する気にもなれない。

おでんの丸かじり (文春文庫)

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