寸感/荷風さん、

 永井荷風の高名な著作「断腸亭日乗」は、持つには持っているのですが、何しろ岩波文庫で上下2巻 850頁に及ぶ大作で、なかなか手がつきません。内容は所謂自伝的な日記で、まずは荷風が生きた時代の特徴、背景、風俗習慣などの知識を必要とします。


 日記というのは本来そう面白いものでもない(ことが多い)ので、例えば、天下を揺るがせた大事件とか、大戦争の様相などを我々と同時代を呼吸した人物が記述するのでなければ共感は得にくいところがあります。
 「日乗」を拾い読みしてみると、特に後半部でなかば世間への興味をうしなったかのように見える部分で、例えば「浅草へ行った」というだけの独り言のような記述がよく出てきます。内容はよく分らないのですが、荷風をよく知る人にとっては、ここが荷風研究の本領を発揮出来るところとばかり、観察/分析に力が入るものがあるらしいのです。


 荷風の「日乗」は大正六年(1917)に始まり昭和三十四年(1959)に及んでいますが、昭和世代の私にしても、やや遠い感じとなってきています。戦時中のことはむしろ記憶から遠ざけたいものもあります。
 荷風の小説なら時代を超えた共感あるいは郷愁 を呼ぶものがあるのかもしれませんいが(読んだものは少ないのですが、例えば「濹東綺譚」)。


 しかし、なんとか「日乗」に近づく搦め手がないわけでもありません。荷風の信奉者は多いので、そうした人の文章を手掛かりに持ってくるのはどうでしょう。
 野末陳平氏のブログがあります。陳平氏----- 自称 陳さま は、いま80代のお元気な年輩者で、律義に毎日朝夕の2回ブログを執筆されています。氏は以前、国会議員、経済評論家、テレビタレントなどで鳴らした方ですが、引退後の今は一切自分を飾らず、自適の生活を楽しんでおられます。


「自適の生活を楽しむ」というのは、そうした境遇の人を評する常套句のようなものですが、実際は分らないものです。ブログを拝見すると、ごく普通の波風の無いお年寄りの生活のようですが、これまで個性の強い独自の生活を送ってこられた人らしい、ありきたりでないものを窺い知ることが出来るように思われます。
 その著書に「老いの迷走」というのがあり、年を経た反省の後は「可愛い老人になること」といったような趣旨のことが書かれてありました。実際のあり様が著書内容とは違っていても(よくあることで?)特に問題とは感じられません。著書には、元気一杯だった頃の生活の一例として、銀座を女装して徘徊した、なんてことまで書かれてありました。


 いまは独居生活なので、食事は原則として友人/知人と楽しく食べることを旨とされており、それが陳さまの生きる糧、世間の風を知る情報源となっているようです。一人で食べる時も、よく市中に出掛け、糖尿や血圧の心配をしながらも、おいしいものを食べたいという人間らしい欲望を正直に叶えようとしています。
 陳さまには著書があり、いまも執筆/出版活動をされているので会食仲間には出版関係の方もおられます。議員生活の名残で、民主党の大物を食事をされることも。多く会うのは若手落語家の面々で、陳さま自身も彼らの活動の一環としての落語の催しに出演することも少なからず、生きた証を立派に残されています。


 ブログでは薄味の生活を嘆くようなニュアンスで書かれていますが、これらは体も頭も元気でなければ出来ることではないでしょう。エジプト考古学の泰斗 吉村先生の番組にも出演しているようですね。
 自宅では、日夜 餌を求めて訪れる鳩たちとの交友記録が面白く、時間を見つけては体や視力を労りながら銭湯や映画鑑賞に出かけたりもしています。テレビでの「相棒」や時代もの、野球なども結構楽しむだけの余裕をお持ちのようですね。国会中継もよくご覧になっているのでしょう。時々、政局絡みの話題もブログに登場します。
 陳さま自身はこうした生活を「先が無い」ような感じで記述されておられることが多いのですが、先が無いのは陳さまに限られたことではありませんね。。


 いろいろな意味で私には教わる所(隠し味)の多いブログとなっています。
 その陳さま の読書記録に時折出てくるのが前述の「日乗」なのです。秘かに荷風の生き方範とされているところも多いらしいです。どういうところが、と、詳述されてなくとも何となく分るような気がします。
 関連して取り上げられたのは「荷風さんの戦後」(半藤一利)。戦後、それから老後の荷風の生き方には陳さまも共感されるところが多いと見えます。特に読後感など紹介されているわけではありませんが、熱心に読まれたらしい様子が窺えます。


 著者の半藤氏は歴史ものに強く、その達意の文章には惹かれるものがあります。私も「荷風さんの戦後」を求めてみましたが、まず、半藤氏の文章の背後を凝視する視線の鋭さに驚かされます。(文中、半藤氏は、荷風を愛情と尊敬の念を込めて ''荷風さん ''と呼んでいます)。
 氏は荷風の「日乗」を、いわば歴史の証言と見て、それこそ1行、1行を舐めるよに味読かつ分析しているのですが、氏にとっては、荷風の何気なく「浅草へ行った」という僅かな一文でも、宝の山のような史実の蓄積と映ずるらしいのです。たまに司馬遼太郎など読んで「私、歴史が趣味です」なんて、間違っても言えないような雰囲気です。
 半藤氏は長年、文藝春秋の編集長などして、厳しい文藝の世界を生き抜いてきた人なのですから当然のことなのでしょう。


 その半藤氏の鋭い観察眼、分析力の一端を「荷風さんの戦後」のなかに見ました。
 ----- 戦時中の空襲などで苦しい境遇を強いられた荷風は、地方の田舎に居た文豪 谷崎を訪問します。
 半藤氏はその顛末を両者の日記を熟読比較することによって、推察を交えつつ明らかにしているのです。
 荷風は短い筆致のなかで谷崎を訪れ、しばし歓談したことをしるしています。一方の谷崎は、その際、荷風か執筆した二、三の小説を谷崎に託して辞したことをしるしています(荷風に記述なし)。これはどういうことでしょるか。半藤氏は、荷風はもう生き延びることを徒労と思ってのことではなかったか、としています。さらに、谷崎が最初「荷風先生」と呼んでいたのがいつの間にか「荷風氏」に変わっている、と観察しています。


 私は、評論家の目というものは、簡素な両者の日記から、ここまでのものを読み出すものなのか、と驚かされました。
 人の文章をいつもこのような目で読まなくてはないらいのかどうか、素人の側からすると少し息苦しいような気がします。しかし、やはり少なくともこのような気構えがなくては、文章を読んだとは言えない----  ことを教わりはしましたが、自分にはとても出来ないことだと観念いたしました。


 でも私は文藝評論家ではないのだから、陳さまのよに自由な立場から、なんの目的かは分らないが毎夜のよに市中へ出掛け、レビューや映画を見たり、時に高級レストランで食事をしたり、要人と会話を楽しんだり----- そうした生活があるのだということくらいは心得ていても悪くはないだろう。そんな気がしました。


 こんなお粗末な読後感でも、ブログに残せることで私はそれで充分な気分がします。

摘録 断腸亭日乗〈上〉 (岩波文庫)

摘録 断腸亭日乗〈上〉 (岩波文庫)

 

記憶/言葉/音楽

 平成24年の「本屋大賞」を受賞した「舟を編む」(三浦しをん)を読んでいます。
 英語を勉強した人なら誰でも辞書に親しんだ筈ですが、その辞書(日本語)作りに関わり苦闘した人たちの物語です。


 辞書というとすぐ思い浮かべるのは広辞苑でしょうか。項目が何万語あるのか分りませんが、この項目一つ一つについて、用例を調べ、収集し、限られた語数のなかで最もふさわしい語釈を与え、しかも時勢にも遅れないものをつくる----- その作業は気が遠くなるような仕事の連続で、当然長い期間を要します。それで、この仕事に携わる人というのは言葉に対する鋭敏な感覚を持ち、世捨人のように世事を忘れて一つのことに打ち込める人物が必要とされます。
 この小説では、そのあたりが良く描かれていて、本という活字の世界に生きる書店員さんたちの共感を得たものと見えます。


 私も英語辞書は用いましたし、一頃「翻訳機械」に興味を持って関連講座を受けたこともあるので、必要に応じて「リーダース」の大辞典(よく出来ています)まで求めました。 
 機械翻訳というと需要が多かったのはコンピュータ関連の英語本だったようですが、これを機械で翻訳させるには当然コンピュータに強くなければならないわけで、機械が翻訳したものを右から左へと利用出来るほど機械は賢くありません。
 訳文を正確に理解して読み易い日本語に仕上げるには「リーダース」やパソコン用語辞典などをいくら持っていたって ものの役に立つ訳がありません。(それに講座というと、パソコンの操作が主体で、これは一寸奇妙な感じでした)。


 私は役所で定年を迎えたのですが、ここでの仕事は多岐に亘るようでいて、文書作成の作法はほぼ決まっており、使われる用語や文例も前例踏襲型で、辞書と言えば用語用例辞典のようなもの----- つまり、人に誤りなく読んで貰えるためのものが主で、例えば「広辞苑」などは、長い仕事生活のなかで使ったのは僅か数回という笑うべきものでした(役所のなかでは笑う人はいないというのが現状で、それに気がついたのは定年後というお粗末さです)。


 さて「舟を編む」ですが、多くを教えられたなかで、次ぎのようなものがありました。

 
 言葉は記憶である。


 どんなに複雑な思い出や感動があっても、言葉がなければそれらをありのままに思い起こすことは出来ない。言葉を知らない人間は貧弱を人生しか送ることは出来ない、という事らしいです。


 私は音楽が一つの趣味ですが、音楽を人に伝える評論家というのは、言葉ではない音を言葉にして人に理解して貰う、とう大変難しい、奥の深い仕事を職業としている人だと思います。
 いろいろな音楽評論に接しますが、なるほど難しい。一番詰まらないのは、コンサートのプログラムだけを伝えることしか出来ない人の文章ですね。
 プログラムだけでは足りないので、作曲の経緯、出演者の経歴、使用楽器のことも書いてありますが、肝心の「音楽」についての記述が足りない時が一番困ります。
 しかし、筆者にとってはここが一番の難所なのですね。それに、筆者が一番感想したところをいくら力説しても、受け取る当方側に、筆者と共通の音楽の記憶/言葉がなければ、どれほど理解出来たというのか、自分にも説明が出来ません。


 記憶は言葉----- ということで、先般「新世界より」(ほか)の定期公演に拘った多摩ファミリオーケストラのことを考えてみました。
 このオーケストラは、青少年音楽教育を一つの目的とした団体なのですが、団員に小中高生がいるため、その練習方法は他と少し違っているような印象を受けます。例えば、あるフレーズの処理(演奏)でも、大人ならひと当り演奏して、後は自分で考えてこい----- ということにはならず、何回でも何回でも繰り返し練習して身に沁み込ませる、という手法を取っているように見えます。
 それは舟を編む」方式に従えば、子供たちがまだ大人の言葉を共有していないため、彼らの頭に残る音楽の印象が鮮明でない、という理由によるのでしょう。
 いまは言葉はなくとも、実際の音楽を繰り返し彼らの体に注ぎ込み、後年、彼らが音楽的に内容のある「言葉」を会得したら、きっとこれまでに享受した素晴しい音楽(「新世界」など)が、素敵な記憶にまで成熟して甦ってくるれでしょう。
 多摩ファミリーオーケストラには、そんな期待と夢が託されているように思われるるのです。


 私は戦前の海外育ちで、小中学校では授業内容は本土と同じでも、音楽環境は貧しく、甦ってくれるような素敵な音楽経験は皆無です。
 ただ外地だけに語学環境だけは良く、小学校では中国語、中学校では英語が必修で、終戦ソ連軍が進駐してくるとロシア語までも学ばされました。
 しかし、当時の劣悪な生活状況ではグローバルだ、国際人だ、などとカッコ付けている余裕などなく、内地への引揚船に乗った途端に、すべてが記憶から消えてしまいました。
 語学には何よりも将来への希望/展望(ヤル気)が必要で、また嫌な生活体験は、記憶を呼び戻すのを抑止してしまうようです。
 山崎豊子不毛地帯」には、極寒のシベリアに抑留された主人公の話が出てきますますが、これを読むと当時の雰囲気が思い出されてくるようです。


 やっとクラシック音楽に巡り合えたのは、帰国後、四国での高校生の頃という遅手でした。勿論、ドヴォルザークベートーヴェンも、クラシックという言葉さえも知りませんでした。
 小中高生でオーケストラに加わり「新世界より」が演奏出来るなんてことは、まるで夢のような話です。
 これらのことについては、また改めてしるすことにしましょう。

舟を編む

舟を編む

ドラマ「あなたへ」

 

あなたへ (幻冬舎文庫)

あなたへ (幻冬舎文庫)

このほど、テレビで、評判のドラマ「あなたへ」が放映されたのですが、見損なったのでDVDを買ってみました。降旗康男 監督作品、高倉健、田中裕子 主演。
 まだ見ていませんので迂闊なことは申せませんが、以下はDVD解説書を見ての感想です。


「迂闊なことは申せません」と書きましたのは、ドラマの主題が人の生死という俄には扱えないことを主題にしているからです。
 解説書によりますすと、主人公(高倉)は妻(田中)を病で亡くし、その遺言に「遺骨を故郷の海に散骨して欲しい」とあったことから、ワゴン車で十数日間の旅に出て、そこでいろいろな人との出会いを通じて感慨を深める、という筋立てとなっています。


 遺骨を通例のようにお墓の納めずに散骨する、といのは(法の規制もあるらしく)まだ一般的とは言えないでしょうが、それについての興味(と言っていいのでしょうか)もあります。
 先年、「千の風に乗って」という歌が流行しましたが、その歌詞には「私(故人)はお墓のなかには居ません」というのがあって、お墓に詣る人の数が減った、という冗談のような話があります。
 散骨というのは、この冗談?話が示すように、故人に対する世間の受け止め方の変化の一つ、と理解することもできましょう。葬儀の形も家族葬直葬の形に変わってきつつあります。
 変わったところでは、遺骨を小さなカプセルに入れて、宇宙ロケットで天空に打ち上げ、そこでブースターとともに燃え尽きる(空中散骨)という壮大なプロジェクトもあるようですが、何でも数百万円はかかるそうですから、一般的とはいえないでしょう。
 これを聞いたある人が、そんなことをしては宇宙が汚れて困るる、と怒ったそうですが、そういう次元の話なのでしょうか。遺骨は周囲を汚すようなものではない、丁重に取り扱うべきもの、とまず考えるところから出発すべきものなのでしょう。
 あるいは、打ち上げたカプセルが、静止衛星のように天空のある一点で静止してくれるようにすれば、人は夜ごと空を見上げて故人を偲ぶことが出来ましょう。「星に願いを」という名歌の雰囲気にぴったりです。


 関係者の配慮の一端を示すものは、最近話題の公園葬というものでしょうか。これは遺骨をお墓ではなく、公園の樹木の基にほうむって母なる地球の土に還す、という考えによるものだそうです。


 お墓詣りの様式も変わった----- こうした風潮は必ずしも、故人よりも今生きている人のほあうが大事----- という意味ではないでしょう。「千の風に乗って」が示すように、故人はお墓のなかに居るよりは、直接に我々の心のなかに、あるいは、見上げる夜空の星座のなかに居るのだ、と考えるのも一面ではより自然であり、故人への供養に繋がる、という考え方もあっていいのではないか、と思われるのです。
 私の好きな詩の一つに、かっての大戦での戦没学生の作品があります。


 遠い残雪のやうな希みよ、光ってあれ。
 たとへそれが何の光であらうとも
 虚無の人をみちびく力とはなるであらう。
(特に感銘を受ける部分は)


 同じ地点に異なる星を仰ぐ者の
 寂蓼とそして精神の自由のみ
 俺が人間であったことを思ひ出させてくれるのだ。
(田辺利宏)


 まだ二十歳代の青年が、戦地にあってこのような透徹した考えを抱くことについては、胸が塞がるような感銘とともに、心からの畏敬の念を禁じえません。


 本題に戻りましょう。
 高倉は妻の遺志に従って故郷に向かいます。その途次のいろいろな出会いや出来事につては映像を見てのこととなりますが、解説を見るだけでも様々な思いが胸をよぎります。


 まず主人公/高倉ですが、映画のなかでは彼の心象風景はどのように、どこまで描かれているのか。これは、まさに「あなたへ」というこのドラマの主題に直結するものでしょうが、解説を読む限りでは、そこがどうもハッキリしないようです。
 高倉は昔からその渋い演技を愛するファンが多く、そのややぶっきらぼうな言動や人間像が却って人気となっているようです(このほど文化勲章を受賞しました)。解説には高倉のメッセージもしるされていますが、ドラマが主題とする人の生死や散骨についての直接のコメントはなく、死に別れが切ない、人は哀しい存在である、というようなことが簡素な筆致で述べられているだけというような感じです。あるいは、それで充分なのかもしれませんが。


 解説には、撮影で高倉と共演したりした多くの人たちの高倉像が語られていますが、映画の主題に関するものは皆無で、殆どは「ぶっきらぼうで、しかも、どこか暖かい高倉像」についての印象を異口同音のように語っているだけです。妻役の田中にしてもそうです。


 これはどうしたことでしょうか。生死のことは誰しも口にはし難い問題ではあるにせよ、ここでは皆さんは敢えてこの問題を避け、撮影という仕事だけに思考停止状態で参加したのでしょうか。
 そうとは思えませんが、これは恐らく解説書編集者がそこまで求めなかったからかもしれません。
 しかし、ドラマを見る者としては、高倉像よりもむしろ(当然のように)映画の主題に関係者はどのように向きあって仕事をしたのか、そこからどういう感慨を得たのか、観客に何を訴えたいのか----- どうしてもそこまでのものを求めたくなります。それでこその解説書ではないでしょうか。


 責任者である降旗監督は、流石にそうはいかないでしょう。
 監督の映画作り---- それは主題をどう活かす作りとするのか、ということに尽きるのでしょうが、そこにはいろいろな模索があったようです。当然でしょう。
 まず、高倉が遺骨を胸にして散骨への旅に出る、ところからして問題となるのでしょう。旅に出ないで、妻と生きた土地での人との触れ合いや語らいのなかに生死問題の解を見出す、という案もあるでしょう。
 実際には、旅の途次、いろいろな人との出会いのなかで、高倉自身も変化し、そこにみずからの旅の意義をも見出す----- そのあたりに落ち着いたようです。
 ここでは「ロードムービー」という言葉が使われていましたが、道行き(ロード)に従って、人は変わり(高められ)、そこに一種の安住の地を見出す、といったようなことでしょうか。一種の大河小説のようでもあります。


 映画作品としてはこれで出来上がるようなものでしょうが、しかし、なお求めたくなるようなものがあります。
 それは夫に依頼して、散骨に身を委ねることにした妻の、そこに至るまでの心境(依ってきたるもの、変化、推移)です。
 妻(故人)はどういう思いで、夫の旅や途中での人びととの出会いの意味を見ているのでしょうか。
 「ロードムービー」にそこまで求めるのは無理かもしれませんが、やはりもう一歩踏み込んだものを期待したいような気持があります。


 「ロードムービー」では、どんなに努力しても、所詮は「こちら側」の人間の物語となってしまい、妻の心境までは描き切れないでしょう。
 この妻の心境と散骨への旅をする夫の心を併せて描いてこそ、このドラマは完結する-----ように思われるのですが、それは無理なことでしょうか。
 どう努力しても「あちら側」の人の周辺にまで立ち入ることは出来ないものと見えます。監督や脚本の責任(限界)なのでしょうか。


 重松清の小説に「その日のまえに」というのがあります。妻の死後三ヶ月後に夫が目にした妻の遺書に、


 ----- 私のことは忘れていいよ


という趣旨の書き置きがあったそうです。
 これはどう理解すればよいのでしょうか。「三ヶ月後」ということに重たい意味があるのでしょうか。
「こちら側」と「あちら側」が互いに歩みよらなければ、納得のいく道筋や解決は見られないように思われます。


 やはり、問題が問題だけに、迂闊なことは申せないような気がする、というのが正直なところです。

寸感/イグ・ノーベル賞とオペラ

週刊新潮」記事(2013.10.31)の受け売りです。「特別読物」として、授賞者/新見博士の授賞に至るまでの顛末が面白く読めました。
 「イグ・ノーベル賞」というのは「ノーベル賞」のパロデイ版ではなく「人を笑わせ、そして一寸考えさせる」ところに特徴があるとされています。単に笑わせるだけの ''お笑いネタ ''ではないところが「売り」なのです。
 では、新見博士の「売り」とは何か。
 新見博士は血管外科の医師で「白い巨塔」の財前外科医に憧れたとか。オクスフォード大に留学、そこでマウスに他のマウスの心臓を移植する実験を担当したそうです。移植すると当然のように拒絶反応が出て、8日ほどしか生きられないそうです。実験/研究の目的は、この拒絶反応と延命にあったのでしょう。
 授賞に至った端緒は、移植手術をしたマウスの病床(入れ物)の置き場所を何かの事情で変えたこと----- すると、移植マウスの寿命が2倍ほど伸びたそうです。つまり、環境を変えるることに何か延命の誘引がありそうだ。
 博士は帰国後も研究を続け、ある時、移植マウスにオペラ「椿姫」を聞かせたところ、40日という大幅な延命効果が出たそうです。 
 面白いことに、効果は「椿姫」でなくては期待出来ず、モーツアルト、エンヤ、「津軽海峡冬景色」では駄目だったそうです。
 モーツアルトを聞かせると乳牛の乳の出が良くなるとか、人間の胎児には良い影響(胎教)があると言われますが、流石に「拒絶反応」にはまでは手が及ばないようですね。
 「津軽海峡冬景色」では、名歌手/石川さゆり絶唱します---- さよなら あなた 私は帰ります 風の音が胸をゆする 泣けとばかりに


 しかし、これでは、マウスたちも やるせなくなるばかりだったでしょう。
 同じ演歌を聞くなら、都はるみ が「あなた 変わりはないですか」(北の宿から)と歌ってくれれば、マウスたちも もっと元気が出たかもしれません。


 授賞式では新見博士は「椿姫」を歌い、大爆笑/大拍手を受けたそうです。多分、歌われたのは、大いに楽しい気分を盛り立ててくれる「乾杯の歌」ではなかったか、と思われます。

 そこで、次ぎなる疑問は「何故 椿姫なのか」ということでしょうか。
 聞くのに2時間はかかるし、まさかマウスたちが歌詞やドラマの筋を理解したとも思えません。
 マウスたちは、楽しい「乾杯の歌」を冥土への土産として、天命を全うしたのでしょうか。せめてもの幸せな旅路と冥福を祈りたいものです。
 オペラには名曲が多くあります。何故「カルメン」や「アイーダ」ではいけないのでしょうか。そこまで言うなら、 ''苦しみを通じての喜び''を謳歌した「第九交響曲」や「新世界より」は如何がなものなのでしょうか。


 もう一つの疑問。ノーベル賞を受けた山中博士の I P S 細胞に「椿姫」を聞かせたら、例えば、再生医療にどういう効果が現れるでしょうか。
  研究の余地はまだまだありそうです。

ヴェルディ:椿姫 全曲

ヴェルディ:椿姫 全曲

< 二人のドヴォルザーク( 補遺/合唱コンクール )>

マチュア:A/最近、NHK小学校音楽(合唱)コンクールで、日野市の小学校が金賞を得たそうじゃないか。
マチュア:B/日野市の七生緑小学校のことだね。素敵なことだ。おまけに、この合唱団の児童が多摩ファミリーオーケストラのフルート担当だって。
A:/合唱はハーモニーが命だから、この子供さんはきっと良い耳に恵まれているのだろうね。
B:/特にフルートは音程が難しいそうだよ。
A:/オーケストラにとっては名誉なことだが、これでオーケストラの質がグンと上がるのだろうか。
B:/そう簡単にはいかないだろう。オーケストラは個人勝負ではなく、全体の群としての質を問われるところだからね。
 プロのオーケストラでも、たとへ、国際コンクール入賞者が何人居ても、バランス感覚の富み、歌う事の出来る奏者が多数居なくては、纏まりのない個人プレーの世界になってしまうよ。
A:/難しいものなんだね
。しかし、団員に入賞者が居るということは、評価を高める手掛かりになる。
 一つ言えることは、日野市の学校音楽教育の在り方が良い方向に向かっているということかな。
 音楽教育界やオーケストラの現場が「ハーモニー」に関心を向けるようになれば、進歩向上に弾みが付くことになる。
 今回の演目のなかの「四つの幻想的情景」(杉原岳彦/当団指揮者)は、日本伝来の名曲に現代風の装いを凝らした名作だが、団員のなかの小中高生たちには、新しい作風に自然に馴染む良い機会になるでしょう。
B:/確かに。アマチュアは熱心さのあまり、とかく指が回るなどの技巧面に目が向きがちだからね。
A:/技巧面での工夫が「ハーモニー」にも直結するように、教育面でも配慮してくれればいいんだね。
B:/一つ言われているのは、良いオーケストラを育てるには、オーケストラの曲と同じくらいにオペラで鍛えるのが良い、ということだそうだ。
A:/オペラの曲は、オケの音楽のように、定められた様式といったものがない。緩急の定めがなく、旋律も脈絡がなくてバラバラ。おまけに、指揮者のほか、演出家、舞台監督、歌手、合唱が思い思いに自己主張するから、纏めるのは大変。オケ奏者は譜面に齧り付いていてさえすれば自然に終曲が迎えられるのではなく、一瞬一瞬が勝負どろとなる。
 歌に溢れたた合唱の世界に居れば、歌心も鍛えられる筈だ。楽器の細かい指回りや弓捌きのことばかり言っていられなくなるよ。
B:/御意。
A:/近い将来、多摩ファミリーオーケストラの伴奏で、オペラ「アイーダ」や「カルメン」が公演される日がやってくることを期待したいね。
B:/「カルメン」には子供たちの出番や歌があるから、日野市の子供たちには渡りに舟だね。
A:/オーケストラには譜面があるが、歌手、合唱団(バレー)は、譜面なし。つまり暗譜でやらなくてはならないから、そこにはオーケストラには分らない苦労がある。
B:/オーケストラでは、パート/プルト単位で動くが、歌手/ソリストは勿論 一人芝居。演技も重要。合唱団にしても、ステージでの群衆となると、いろいろな声部の人が入り混じり、それぞれが違った音で歌うのだから、オケのプルトの中で甘やかされた人には難しい芸当だ。
A:/オケでは、演奏中に風が吹いて楽譜が飛んでしまったり、停電になったりしたら一巻の終り。
A:/まあ、一度にはそんなうまい具合にはいかなだろうから、期待を込めて待つことにしよう。
B:/とにかく入賞は目出度いが、いろいろなことを考えさせてくれたね。

ビゼー:歌劇「カルメン」

ビゼー:歌劇「カルメン」

< 二人のドヴォルザーク( 小品 賛歌/その 3 )>

 --- 演目 寸感 ---
◇ 「ザ・ガール・イン・サテン」(アンダーソン)
 「ガール」は「少女」だとしても「サテン」とは何か。辞書を見ると「繻子」とありますから、美しいドレス風の衣装を纏った楚々とした少女、というイメージでしょうか。
 (すべて私の想像ですが)曲の冒頭のフォルテの音が舞台の緞帳の上がる情景を示し、そこに現れた少女がたおやかなタンゴの調べに乗って優雅な踊りを披露するのです。途中で、手にした花束をキッスとともに聴衆に投げ与えるような所作も表現されています。


 ----- 勝手な想像はおいといて、ここでのタンゴの調べと音楽処理にはアンダーソンの美質のすべてが表現されているように思われ、親しめば親しむほど、その巧みさに魅了されます。今回の演目のなかでは最も気に入っている曲です。


◇「ペニー・ホイッスル・ソング」(アンダーソン)
 この題名はどういうものなのでしょうか。公演プログラムの解説にまちましょう。
 「ホイッスル」とありますから木管楽器の軽やかな動きがそれなのでしょう。
 管楽器の活躍に加えて、終始、チェロの優美なオブリガードが華を添えます。


◇「春が来た」(アンダーソン)
 一言で言えば「春風駘蕩」という境地でしょうか。日本の情景で言えば、満開の桜で霞か雲か、という佇まい。金管がうまく弦に溶け込んで効果を発揮しており、弦には円滑な弓捌きが求められます。


◇「四つの幻想的情景」(杉原岳彦)
 「春が来た」の印象が日本的風景のなかで次第に幻想的なものに変容していきます。「さくら さくら」、「村祭」、「毬と殿様」、「江戸子守唄」という日本伝来の名曲を、現代の作風のオブラートで包んだ意欲作で、独創的な管の活躍が見られます。
 曲は冒頭の夢幻的なヴァイオリンの響きでまず始まりますが、とりわけコーダでの、漠々とした雲のなかを浮遊するような音の境地が印象的です。
 ドビュッシーが創造した牧神が日本で目覚めたらかくもあろうか、と思われるくらいの情景です。
 しかし、こうした印象批評だけでは、あまり現代作品を批評したことにはならないのではないか、と思われますが。
 一つ興味があるのは、こうした作曲界の風向きが、これからの日本の音楽教育にどう影響するのか、しないのか、という点です。
 日本の作曲界では、シューベルトドヴォルザーク風などの作曲様式ではどんな優秀作品でも最早受入れられず、そこに現代風の味付けを試みなければ世に出して貰えないものなのか、子供の手許には届かないものなのかどうか。
 一方でこうした音楽の動きは時代の流れ、必然的な進歩というもので、黙って受入れるのが当然だ、という考えもありましょう。しかし、反面、人間の情緒にかかわる音楽に進歩なんてない、あるのは「変化」だけだ、という主張もあります。
 アメリカで言われたことは、現代音楽やポピュラー音楽が市民権や大衆的人気を得つつある一方で、従来型のクラシック音楽に加えて、ミュージカルや映画音楽が世に受けられることとなった、という話があります。


 現代音楽にどう向き合うのか、といのは私の長い間の宿題です。
 ビートルズの名作「イエスタデイ」が、アメリカの小学校での音楽教材(浪漫風の弦楽四重奏曲)として使われているという話は、「自在な発想」という点で極めて象徴的なものだと思われるのですがどうでしょうか。日本にはまだそれだけの気持の余裕がないようにも思えますが。
 素人の私が心配するようなことではありませんが、多摩ファミリーオーケストラでは名曲「新世界より」等に加えて「杉原作品」の演奏に小中高生も参加していることを考えてみると、それは一つの前進的な試みであり、そこに多様な未来が待ってくれているような気がいたします。
 最近耳にしたのは(聞き間違いでなければ)、NHK小学校音楽(合唱)コンクールで、日野市(多摩オケが本拠とする地域)の小学校が金賞を得たというニュースです。


<小さな総括>
◇ 「仮面舞踏会」/元気の出るワルツ
◇ 「王様」/管と弦の美しき融合
◇ 「クロック」/リズム感のお遊び
◇ 「サテン」/優雅な興趣
◇ 「ホイッスル」/管の楽しいお散歩
◇ 「春」/アメリカの早春賦
◇ 「幻想」/今後への予兆


 改めて驚かされるのは、これらの諸作品にどれ一つとして同じ趣向のものがなく、それぞれが独自の世界を持ち、魅力を発揮していることです。
 アンダーソンの懐の深さに脱帽です。(了) 

現代日本音楽の古典

現代日本音楽の古典

< 二人のドヴォルザーク( 小品 賛歌/その 2 )>

 --- 演目 寸感 ---


◇「仮面舞踏会よりワルツ」(ハチャトリアン)。
 ワルツと聞くとすぐ軽快なシュトラウスの諸作品を思い浮かべますが、ハチャトリアンのこの曲は軽快というよりはややバタ臭く、サロンでの演奏よりは、農民たちの収穫祭での陽気で楽しい踊りを連想させます。それでいて各所に細かい工夫の跡が見られて、奏者にとっても楽しい曲となっています。
 ワルツの伴奏は普通は弦楽器なのですが、ここでは管楽器が巧妙に使われており、一種独特の効果を発揮しています。


◇「キャプテンたちと王様たち」(アンダーソン、以下 同じ)。
 軽妙洒脱なアンダーソン、という印象と少し異なって、金管群と弦の魅力が交錯しています。咆哮する金管が複雑なリズムを刻んでいる、と見ていると、譜面では変拍子---- 4分の2拍子、4分の3拍子などが繋がっていたりします。奏者はいちいち立ち止まって数え直すわけではなく、譜面通りに弾き進めていけばいいわけですが、これを作曲した作曲家の頭の中はどうなっているのでしょうか。頭の中を流れる旋律をそのまま譜面にしるしたらこうなっった、ということでしょうが。世の中には意地悪な人がいて、枯渇した旋律を無理矢理に捻り出す工夫のなかで変拍子はどうしても必要なのだ、という説もあります。
 私には俄には信じ難い説ではありますが。とにかく楽しく聞ければそれで万々歳です。

 
 突然、弦の優美な旋律が現れます。アンダーソンの旋律にはある特徴があります。それはシューベルトチャイコフスキーのような綿々と訴えかけるようなものではなく、むしろ、細々したものを繋ぎ合わせたようなものです。旋律でないようでいて、巧まずして美しい旋律となっているところが、天才肌というものなのでしょうか。


 この曲では、ミュージカル作曲家としてのアンダーソンの天分をも感じ取ることだ出来ましょう。管の扱いとともに、高弦の使用法のなかにその片鱗が窺わえるようです。


◇「シンコペイテッド・クロック」
 アンダーソンの名を天下に知らしめた彼の出世作の一つといえましょうか。
 簡易な打楽器をオーケストラにあしらうだけで、人の心を捉える名曲に仕上がりました。一度聞いたら忘れられものとなります。
 ところで「シンコペイテッド」とは日本語でどう訳されるのでしょうか。文字通りには「拍子の合った」というような感じですが、一説では、打楽器とオーケストラのリズムが微妙に食い違った面白さを描いたもの、なのだそうです。
 皆様にはどう聞こえますか。アンダーソンが舞台の陰で笑っているかもしれません。(続く)

“ツィゴイネルワイゼン”(ヴァイオリン名曲集)

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